2019年08月29日

『この星は、私の星じゃない』完成披露試写会に行ってきました(暁)

2019年 10月26日(土)から渋谷ユーロスペースで公開される、『この星は、私の星じゃない』の完成披露試写会に行ってきました。

2019年7月3日(水)会場:ユーロライブ
上映終了後に原一男監督と田中美津さんによるトークライブ
 (原一男監督:『極私的エロス・恋歌1974』『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』『ニッポン国VS泉南石綿村』などで知られる映画監督)
@konohoshi2019

『この星は、私の星じゃない』
 監督:吉峯美和

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久高島へのフェリーで

この作品は1970年代初頭、「女性解放」を唱えて始まった日本のウーマン・リブ運動を牽引した田中美津さんの歩んできた道、鍼灸師として働く姿、そして、沖縄に通う彼女の今を4年に渡り追ったドキュメンタリー映画。吉峯美和監督はNHK番組制作の際に田中さんを取材したことが、本作の製作動機になったと語っている。吉峯さんが初めて田中さんに会ったのは、2015年にNHKで放送された「日本人は何をめざしてきたのか 女たちは平等をめざす」という、戦後70年の女性史ドキュメンタリーの制作に映像ディレクターとして参加したのがきっかけだった。
「戦後、活躍したいろいろな女性の方にお目にかかったのですが、田中美津さんはその中でも特別で、強く心に残りました」と田中美津さんに魅力を感じ、映画化を考えたそう。

1970年、ビラに書いた「便所からの解放」が多くの女性の共感を呼び、日本におけるウーマンリブ運動を牽引した田中美津さんはウーマンリブ運動のカリスマ的存在だった。昨今、話題になっている“Me Too運動”の先駆けともいえる。女性が「母性=母」か「性欲処理=便所」の二つのイメージに分断されているととなえ、その解放の呼びかけに「便所からの解放」という言葉が使われた。
「便所からの解放」とは、家庭、性産業、学生運動、社会運動など、社会の中で、男性の性欲処理の対象とされていた女性たち。自尊心を取り戻し、それらからの解放を訴えた彼女の「便所からの解放」は、当時、良くも悪くも時代を象徴する言葉だった。当時高校生だった私はメディアなどから悪意を持って伝えられる「便所からの解放」の言葉を見て「何を言っているの、この人たち」とリブの人たちに反発を感じていた。しかし、その後リブの女たちと知り合い、直接話を聞いて納得したという経験がある。主婦と性産業で働く女性たちは、こういう男社会の意識の中で分断されていて、お互いを敵のように思っていたところもあった。

日本でウーマンリブ運動が始まった1970年代当時は、女性のあり方について、儒教などの影響で「女性は子供のときは父親や兄に従い、結婚したら夫に従い、年老いた後は子(息子)に従うのがよい」という考え方が根深く残っていて、「女性は男性のいうことを聞いていればよい」とか、「結婚したら女性は家庭に入り、家で家事と子育てに従事するのがよい」という考え方があたり前だった。
そういう考え方に反発する女性も多かったが、そんな中、田中さんの「自分の思いに忠実に生きる」「ありのままの自分でいい」「女性自身の思いを大切にして、他者からもそういう生き方が尊重されるべき」というような主張は、多くの女性たちの共感を得た。今ではこういう考え方はあたり前になっているが、当時はそういうことを言うと「女らしくない」「女らしく」などと釘をさされたりした。

田中美津さんはウーマンリブ運動の先駆者となり「ぐるーぷ闘うおんな」や「リブ新宿センター」を設立。同センターは女性の駆け込み寺として、中絶や避妊などの相談センターとしても兼ねていた。こうした活動の中で勇ましい美津さんというイメージがあったけど、ほんとうは体が弱かったらしい。そういうこともあって鍼灸師になったようだ。1975年の国際婦人年メキシコ会議の時にメキシコに渡り、数年滞在した後、帰国。帰国後から、76歳の現在まで鍼灸師をしている。ほかにも講演や執筆、ライフワークでもある沖縄の基地問題に精力的に取り組む姿など、今なお忙しい日々を送っている。
特に今、力をそそいでいるのが沖縄の問題。足しげく沖縄に通っているようだ。きっかけは、嬉野京子さんの「ひき殺された少女(1965年)」の写真を見たことと、この映画で語っていた。私も1970年頃、この写真を見て、米軍に占領されている沖縄の現実を知ったけど、このドキュメンタリーの中で沖縄の人の中には、この写真を見たくないという人がいるということを知った。それだけ沖縄の人の心にグサリと現実を突きつける写真ということだろう。美津さんは辺野古へと通い、支援活動を続けている。その活動も紹介されている。辺野古の美津さんの姿は活動家としての顔を見せていたけど、久高島を訪ねる船上の美津さんの姿は、遠くニライカナイを見つめているようだった。

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今まで田中美津さんのことは、活動家としての部分しか知らなかったけど、この作品ではウーマンリブの活動家だけではない生活者としての美津さんの姿も映し出されていた。そして、鍼灸師として仕事や、自宅で息子さんと接する姿など、これまで知ることのなかった美津さんの姿を観ることができて、私としてはとても興味深かった。
この完成披露試写会は、クラウドファンディングで支援した方たちを中心に行われ、あの頃、リブ運動に参加した人たちも大勢参加していた。会場はほぼ満員。私としては見知った顔があちらこちらに。
上映会の後、原一男監督とのトークセッションがあったけど、これまたバトル状態。
二人のかみ合わないトークに苦笑い。私自身は、田中美津さんの活動家としての姿だけでなく、日常の姿や日々の暮らしなどの映像、息子さんも出てきて、彼女のそういう暮らしを見てほっとしたのだけど、原監督は活動家としての美津さんの姿だけを観たかったらしい。
私は原監督の『極私的エロス・恋歌1974』を観ていないけど、これは原監督の以前の恋人の生き様や出産光景などを追った作品とのことだけど、この相手の女性、武田美由紀さんは、なんとリブ新宿センターで活動していた女性で、田中さんたちの仲間だったとのこと。この作品を巡っても、やはり二人の見方が違って意見がかみ合わない。そして、決定的だったのは、彼女を「ウーマンリブのリーダー」という視点で見ていたこと。この運動に参加した女性たちは、男たちの運動の中の、頂点にリーダーがいてピラミッド型になっている構造に反発を感じていたので、そういう視点で美津さんを見たことはなかった。私もこの考え方を知ったときなるほどと思った。この時は会場からもブーイング。男の考え方と女の考え方の違い、発想の違いを久々に感じた。

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パワフルウィメンズブルースを歌う

私とウーマンリブというか女性解放運動との出会いは、1975年の国際婦人年だった。会社に勤めて5年目、日々の暮らしや会社の仕事の中や仲間との人間関係で生き難さを感じていた。家族からは「女らしくしろ」と言われ、会社では「女のくせに」と言われもんもんとしていた。そして迎えた国際婦人年。いろいろな女性解放のグループを知った。
実はウーマンリブの活動については、それまで反発しかなかった。当時、リブの女たちはブラジャーを焼き払うという行動などを、エキセントリックにマスコミが報じていて、その突飛な行動のわけなどはちゃんと伝わらず、「何やっているの彼女たち」みたいな感じだった。でも、その彼女たちと知り合い「目からウロコ」だった。女のくせに、女らしくから、自分のために自分らしくへの解放や、体を締め付けるものからの解放とか、その行動の元にあるものを知ってからは、自分らしく生きていいんだと、彼女たちに共感し生きてきた。彼女たちに出会わなかったら、自分の生きたいようには生きてはこられなかったかもしれない。
そして、この映画を観てなつかしかったのは、「パワフルウーマンブルース」を久しぶりに聴けたこと。この歌は当時、いろいろな集会で歌ったり踊ったりしていて、とても勇気をもらった曲だった。でも田中美津さんが作った歌だとは知らなかった。今回、この作品で知った。また美津さんが沖縄、辺野古に通っていることも知らなかった。彼女が今も、行動する人であることが心強かった。
私は1978年頃、新宿にあった悠文社という写真製版の会社に勤めていた。そこに、新宿リブセンターにいた米津さんが製版を依頼しに来ていたのだけど、その米津さんもこの作品に出ていた。大きなバイクに乗って颯爽とやってきていたけど、あの頃はまだ、大きなバイクに乗っている女の人は少なかったので、そんな彼女のことを「かっこいい!」と思っていた。その彼女の元気な姿も見ることができて嬉しかった。上映会の後に、その米津さんとも会えた。でも、今回調べてみたら、1978年頃はすでにリブ新宿センターは活動を休止していたことを知った。あの頃は、同じ場所で印刷所のようなことをやっていたのかな。今度、会ったら聞いてみたい。
上映会の後の打ち上げにも参加したけど、そこの場で若い人と出会った。その時に「ウーマンリブ運動はいつ終わったの?」と言われ、ふと「終わったのかな?」と思った。そして「女たちの運動は終わったのではなく、新しい形になって現在につながっているのでは」と答えた。あの頃掲げていた「自分らしく生きたい」ということを、自分の生活の中に取り入れて実践して生きてきた。あの頃の仲間は、そういう風に生きてきた人が多い。当時言われていた「結婚して、夫や子供のために生きるのが女の幸せ」ということを押し付けられることも、ほとんどなくなったし、少しは女性にとって生きやすくなっているのではとは思う。でも、まだまだ女性であることが不利なことは多い。これからも、まだ闘いは続く。


『この星は、私の星じゃない』
2019年10月26日(土)〜渋谷ユーロスペースにて公開予定
あいち国際女性映画祭2019(9月5日 ウイルホールで10:00から上映)
(製作・配給:パンドラ+ BEARSVILLE)
公式サイトhttp://www.pan-dora.co.jp/konohoshi/

ウーマンリブ運動関連 ドキュメンタリー作品

『ルッキング・フォー・フミコ 女たちの自分探し』
  栗原奈々子監督 1993年
 シネマジャーナル31号掲載(31号の在庫がないためHPに掲載)
 http://www.cinemajournal.net/bn/31/talk.html

『30年のシスターフッド ウーマンリブの女たち』
  山上千恵子・瀬山紀子監督 女たちの歴史プロジェクト 2004年
 シネマジャーナル64号で紹介

『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』2015年 松井久子監督 
 シネマジャーナル93号で松井久子監督インタビュー掲載
 シネマジャーナルHP 松井久子監督インタビュー記事
 http://www.cinemajournal.net/special/2015/feminism/index.html

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2019年08月12日

ちょっと勝手が違った夏コミケ。 来年はGWコミケですって (咲)

8月10日(土)、抜けるような青空の中、恒例の夏コミケへ。
副店長のミッキーさんから、7時半過ぎ、「こんなに空いてる電車(ゆりかもめ)は初めて」とのメール。ちょうど新宿駅のホームにいたのですが、確かに、りんかい線も空いてました。

実は、前日の9日(金)夜7時のニュースで、「今日から東京ビッグサイトで恒例のコミックマーケットが・・・」というので、えっ?と思ったのです。というのも、10日が初日と思い込んでいたから。
案内をちゃんと読んでない私。 お恥ずかしい。
駅からの導線も、いつもとちょっと勝手が違うし、入口で通行証と引換えに、10日と書かれたブルーのリストバンドを渡され、何、これ?と。

シネジャの設置場所 西地区 ”え”ブロック 30b に到着。
暑いのを覚悟していたら、意外に冷房が効いている♪

隣りは、何回かお隣りだったインド映画のマサラ上映を楽しむ男性。
その方から事情を教えていただきました。
今年は東京オリンピックの準備で、東ホールが使えないので、会場が狭くなり、例年の3日間ではなく、4日間の開催になったとのこと。それでも、例年の75%しか参加サークルを受け入れられないので、規模は縮小。
一般入場者は、これまで無料だったけど、一日ごとに500円でリストバンドを購入。
参加サークルの人は、通行証と引換えに貰うことになっているのだと判明しました。

思えば、来年はちょうど東京オリンピックの開催中の時期。
コミケは、前倒しで、GW(2020年 5月 2日 〜 5日)に開催されることが決まっていることも教えていただきました。
来年は、4月1日の香港でのレスリー追悼記事を遠藤智子さんに速攻で書いていただいて、4月10日には入稿しないと・・・と、来年発行の103号のことが頭を駆け巡りました。

さて、今回の夏コミケの顛末です。
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セッティングして、ミッキー副店長と最近観た映画についておしゃべりしていたら、以前にお隣で親しくなった映画本を出している男性の姿が。
このところ、ガン(銃)の本の売れ行きがいいからか、壁を背にした特等席をあてがわれて戸惑ってるとのご挨拶。映画本の方は、お父様が入院したり、印刷屋さんが廃業したりで、滞っているとのこと。

10時。開場のアナウンス。静かに拍手が広がる大好きな時間。
あまり人が流れてこない・・・と、心配しましたが、程よく覗いてくださる方がいて、ほっ!
いつも来てくださる香港映画好きの奥さまも11時前にいらしてくださいました。
続いて、写真家の島津美穂さん。今年も4日間ボランティアスタッフでコミケを支えているそう。
彼女から、ちょっと寂しいお知らせを聞いてしまいました。レスリー・チャン存命中から、ずっと毎月のように開かれていた会が、去年の12月を最後に開かれてないというのです。命日とお誕生日に贈る千羽鶴は、続けているとのことなのですが、主宰する人たちも、いろいろと事情が出来たのでしょう。

そんな中、なんと、レスリーが好きという男性が・・・
表紙の「追悼 張國榮 (レスリー・チャン)」に気づいてくださったのです。
なんといっても、『欲望の翼』のヨディが好きとのこと。
追悼記事の載っているバックナンバーも、「お金あるかな〜」と言いながら、すべて購入してくださいました。レスリーに多謝♪ 遠藤智子さんに多謝♪

インド映画好きの方のためにと、公開中の『あなたの名前を呼べたなら』『シークレット・スーパースター』のチラシのほか、インド映画掲載号を明示した案内を置いていたのですが、やはり効果ありました。来年は、頑張ってインド映画特集も組まなくちゃ。

ヨコハマ・フットボール映画祭の実行委員長さんで、東京国際映画祭のスタッフの方も、去年に引き続き立ち寄ってくださいました。

そんなこんなで、1年ぶりのコミケも無事終了。

ご購入くださった皆さま、お声をかけてくださった皆さま、今年もどうもありがとうございました。
また来年、5月に♪




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2019年08月07日

済州島の旅(2)西帰浦で画家イ・ジュンソプを偲ぶ  (咲)

7月30日(火)
済州島滞在3日目。有無を言わせず、私の希望で西帰浦(ソギポ)へ。
酒井充子監督の映画『ふたつの祖国、ひとつの愛 〜イ・ジュンソプの妻〜』(2014年12月13日公開)で知った非業の死を遂げた画家イ・ジュンソブが、日本人の奥様と二人の息子さんと共に、1年弱暮らしたのが西帰浦。
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一家が間借りした茅葺の家(復元)のそばには、イ・ジュンソブ美術館も建てられているので、ぜひ訪れたいと思っていたのです。

去年7月、釜山を訪れた時、偶然にもイ・ジュンソブ一家が済州島に渡る前、1か月過ごした汎一洞に宿泊したということもありました。
その時の日記 
釜山の旅 2日目朝 『友へ チング』と国民的画家イジュンソプゆかりの汎一洞を歩く (咲)

イ・ジュンソプについて紹介しておきます。

李仲燮(イ・ジュンソプ)
1916年9月、日本統治下の朝鮮半島で富裕な農家の次男として生まれる。
1936年20歳のとき、東京の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。その後、文化学院美術部に移り、三井財閥企業の役員を父に持つ山本方子と出会う。1943年、ソウルで開かれた美術展のために帰国するが、戦況が悪化し日本に戻れなくなる。故郷の元山に帰ったジュンソプは、方子を呼び寄せて結婚。1950年朝鮮戦争が勃発し、家族で釜山、済州島へと避難する。1952年36歳のときに妻子3人を日本へ送還。翌年、特別滞在許可を得て1週間足らず日本に滞在するが、これが家族との最後の別れとなる。
1955年アジアの芸術家として初めてニューヨーク近代美術館に作品が所蔵される。しかし満を持して開催した個展は、銀紙画を春画とみなした当局から撤去命令がでる。この頃から栄養不良や拒食症等で衰弱していき、1956年9月6日、誰にも看取られずに息を引き取った。享年39歳。
1970年代にジュンソプの残した作品群への評価が高まり、一枚の絵が最高35億ウォン(約3.2億円)の値がついた。現在では、美術館が建てられ、韓国の国民的画家と呼ばれている。

さらに詳細は、下記をご覧ください。
『ふたつの祖国、ひとつの愛 〜イ・ジュンソプの妻〜』
酒井充子監督インタビュー

さて、イ・ジュンソプを偲ぶ旅に戻ります。
新済州市のホテルメゾングラッド近くの「恩南洞」バス停から、360番のバスでバスターミナルへ。5番乗り場から、281番のバスに乗車。

バスターミナルの観光案内所で、282番のバスでも行けると教えてもらったのですが、282番のバスの運転手さんに「イ・ジュンソブ?」と聞いたら、運転手さんと、一番前に座っていた年配のご夫婦が声をそろえて「違う。あっち」(という意味のハングルだと思う!)と、281番の乗り場を指してくださいました。
私はハングルはできないので、イ・ジュンソブの名前を言っただけなのですが、わかってくれました。さすが、国民的画家!

済州島を北から南に山越えして、1時間ちょっとで、西帰浦の東門ロータリー到着。
バス停のちょっと手前に、「イ・ジュンソブ通り」と日本語も併記された案内板があり、間違いないと、ほっ!
バス停そばの文房具屋さんで、方向を確認。市場を目指していけばいいとのことでした。
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市場のアーケードの入り口付近
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その向かい側が、1996年にイ・ジュンソブ通りと名付けられた通りのスタート地点。
ここから、坂を下っていきます。
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イ・ジュンソブの絵のモチーフが道にはめ込まれています。
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マンホールもイ・ジュンソブ
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排水溝?も
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壁には、絵の複製

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イ・ジュンソブ美術館への道
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イ・ジュンソブ美術館

中の写真は撮れなかったのですが、1階入って左手がイ・ジュンソブの生涯をたどる展示。説明はハングルと英語。
イ・ジュンソブが家族に宛てた日本語の手紙や、奥様の山本方子(やまもとまさこ)さんからの手紙も展示されていて、それにはハングルや英語の訳はなく、日本人には読めるものの、それでいいのか・・・と思いました。
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美術館3階のテラスからは、西帰浦の町とその向こうに島が見えました
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美術館から程近いところにイ・ジュンソブ一家が間借りしていた茅葺の家。1997年に復元されたものだそうです。
一番端の扉を入ると、手前に竈。奥に3畳弱の土間のような部屋。
ほんとに狭くて、暗くて、こんなところで一家4人が暮らしていたのかと涙。
でも、奥様によれば「幸せなとき」だったとのこと。

39歳で非業の死を遂げたイ・ジュンソブ。
かつて過ごした地に、美術館が出来、そこに至る道が「イ・ジュンソブ通り」と名付けられるなどとは思いもよらなかったことでしょう。
歴史に翻弄されたイ・ジュンソブの人生。
せめて、存命中に絵がもっと評価されて売れていれば、39歳という若さで命を落とすこともなかったのではと、涙です。

10歳の妹の孫の男の子も、彼の人生を知って、ちょっとしんみりしていました。
いい勉強になったのではないでしょうか。

と思ったのも束の間、「どこかで休みたい」と言われてしまいました。
私も、暑かったので、パッピンス(かき氷)が食べたいなと。
それなのに、なかなかお店がない!
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思わず「パッピンス!」と叫んだら、なんと、パッピンスの写真がパン屋さんの表に・・・
無事、いただきました。
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出てきたときに写真を撮り忘れ、少し食べた無残な姿ですみません・・・

その後、アーケードの市場へ。
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帽子屋さんに、なぜかヒジャーブ(イスラームの女性が髪の毛を隠すためのスカーフ)が・・・
こんなところにも、ムスリマの観光客が来るのでしょうか。
お店の人に聞いてみたかったけど、ハングルができないので諦めました。

あ〜 どこへいっても、イスラームにかかわるものが気になる私!







posted by sakiko at 22:41| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月06日

インドの女性監督ナンディタ・ダースも登壇。『マントー』上映会 (咲)

印パ分離独立に翻弄された作家マントーの伝記物語『マントー』を、7月4日(木)夜6時から東京外国語大学で観てきました。

40分前に着き、受付でいただいた萩田博さんによる詳しい解説を読んで映画に臨みました。お陰で映画の中に織り込まれるマントーの短編の場面も、すんなり理解できました。
(かつて国際交流基金で萩田さんのウルドゥー文学の講座を受けたことがあるのを思い出しました。講座が開かれたのは、資料に1996年とありました。マントーの名前、覚えていません・・・ トホホ)

サアーダト・ハサン・マントーは、英領インドだった1912年、現在インド側にあるパンジャーブで生まれる。幼年期から青年期をアムリットサルで過ごす。
ユーゴーやオスカー・ワイルドの戯曲、ロシア文学の短編小説などのウルドゥー語への翻訳を経て、短編小説の執筆を始める。
1937年、ボンベイで映画関係の雑誌「ムサッヴィル(画家)」の編集者となる。1939年、サフィアと結婚。
1941年、オール・インディア・ラジオのデリー放送局に勤務。ラジオ・ドラマを数多く執筆。
1942年、ボンベイに戻り、雑誌の編集や映画の脚本を執筆。俳優のシヤームや アショーク・クマールとの親交を深める。
1947年、印パ分離独立。妻サフィアと子どもたちはラホールに移住。
1948年、マントーもラホールに移る。
1955年、肝臓を患い、42歳で逝去。

印パ分離独立後、先にラホールに移住した妻から早く来てほしいと手紙が来ても、ボンベイを離れたくなかったマントー。「ムスリムを殺せ!」「パキスタンに行け!」の声が高まり、職場でもムスリム排除の動きが強くなり、さらにマントーの脚本が映画化されないという事態もあり、ついに移住を決意した様子が映画で描かれていました。
ボンベイにいる親友からの手紙も読もうとしないマントー。
「今や僕のボンベイは別の国。父も母もそこに眠っているのに」という言葉が、ぐさっと胸に刺さりました。
マントーの小説は性や人間の心理描写が猥雑だとして、何度も裁判沙汰になります。弁護士が手を引き、あるがままを表現したいだけと自己弁護するマントー。
心が折れ、酒浸りになり、ついには肝臓を悪くして早死にしてしまうのです。
どんな状況にあっても夫を支え続けた妻サフィアの気持ちを思い、涙。
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映画の余韻に浸る中、ナンディタ・ダース監督が登壇。女優でもある彼女、華奢で可愛らしい方で、どこにこんな重厚な映画を作るエネルギーを秘めているのかとびっくりしました。
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写真:関係者席にいらした村山和之さんから提供していただきました。

スピーチは、会場からの要望でヒンディー語で行われました。
ナンディタ・ダース監督は、ウルドゥー語で書かれたマントーの小説のヒンディー語訳全集を丹念に読み解いて映画化されたとのこと。

自身が話すよりも、会場からの質問を受けたいとマイクを会場に委ねました。
この質疑応答の模様は、いずれ外語大のウルドゥー専攻のサイトに掲載する予定とのことですので、ここでは私が留めておきたい監督の言葉を披露しておきます。

マントーが色々な困難に遭いながら、立ち向かって書き続けたことを伝えたいと思いました。
映画を観る人によって捉え方が違うと思います。観る人自身がどういう人生を生きてきたかで観る目も違うと思います。単に映画がいいか悪いかでなく、映画を通じて話し合いが始まることを願っています。

もし、今の時代にマントーが生きていたら「表現の自由があるのに、皆、なぜ声をあげようとしないのか?」と言うのではとも。


エンドロールで歌われる「Bol(話せ)」は、ファイズ・アフマド・ファイズの有名な詩とのこと。
麻田豊氏による「できるだけ原文に沿った試訳」をこちらに掲載させていただきます。

話せ 君の唇は自由なのだから
話せ 舌はまだ君のものだから
君のすらりとした身体は君のものだから
話せ 命はまだ君のものだから
見よ 鍛冶屋の店の中を
炎は燃え盛り 鉄は真っ赤
南京錠の口が開き始めた
ひとつひとつの鎖の輪が解けた
話せ この短い時間で十分
身体と舌が死に絶える前なら
話せ 真実はまだ生きている
話せ 言うべきことは言うのだ


監督は13日間、日本に滞在予定です。
ナンディタ・ダース監督の登壇するワークショップもあります。

◆ワークショップ「現代インド女性をめぐる問題:女優として、活動家として」

2019年7月9日〈火〉 18:00開映(17:45開場)
場所:東京外国語大学 研究講義棟1階100
登壇:ナンディタ・ダース監督
使用言語:英語/参加費無料/先着順/申込不要/定員60名


*****

帰り道、印パ分離で故郷を離れなければいけなかった多くの人たちのことに思いを馳せました。トルコとギリシャの住民交換も然り。世界の各地で、どれだけ多くの人が政治的要因の犠牲になったことでしょう。
私は父の転職で、15歳の時に神戸から東京に引っ越しました。今でも心は故郷の神戸に・・・  政治的なことで自分の意志でなく故郷を離れた人たちと状況は違うけど、気持ちわかります。


東京外国語大学での上映会情報は、こちらで!
◆TUFS Cinemaウェブサイト
https://www.tufscinema.jp



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2019年06月23日

映画『旅のおわり世界のはじまり』青木崇高さんのウズベキスタン弾丸ツアー (咲)

6月21日(金)夜9時5分から、テアトル新宿での『旅のおわり世界のはじまり』上映終了後、青木崇高さん撮影&編集!弾丸旅行記!!スペシャル映像上映付きトークイベントが開かれるとの案内をいただき、これは行かねば!と駆け付けました。

『旅のおわり世界のはじまり』は全編ウズベキスタンで撮影された映画。
約1ヶ月間にわたるロケの最中の加瀬亮さんを訪ねて、青木崇高さんが仕事の合間をぬってウズベキスタンまで弾丸ツアーを敢行。その折に撮った映像を「あおきむねたかのウズベキスタンまでちょっと会いに。」と題して28分に編集したものが披露されました。

スペシャル映像上映前に、青木崇高さんがウズベキスタンを訪れることになった経緯が語られました。
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(★加瀬亮さんと青木崇高さんのトークの詳細は、こちらでご覧ください!)

加瀬亮さんと青木崇高さんの最初の出会いは、吉高由里子さん主演の『婚活特急』とのこと。完成披露舞台挨拶に取材に行ったのを思い出しました。2010年12月14日のことでした。記事はこちらで

さて、楽しみにしていたスペシャル映像の上映。
私がウズベキスタンを訪れたのは、1986年。まだソ連の時代でした。その時のことを思い出しながら、映像を楽しませていただきました。私の感想を織り交ぜ、映像の内容を紹介します。

「あおきむねたかのウズベキスタンまでちょっと会いに。」

2018年5月16日。
前日、「西郷どん」の撮影を終え、成田からソウル・仁川空港経由タシケントへ。16時間の旅。(1986年の私の旅は、新潟からハバロフスク経由タシケントまで2日かかりました。近くなったものです。)

タクシーでホテルに着くと、真っ暗な中に柄本時生さんの姿が。
染谷将太さんや前田敦子さんも。そして、加瀬亮さん。「ほんとに来たの?」と笑います。

さて、翌日から撮影風景でも見学するのかと思ったら、2日間の青木崇高さん一人旅。
タシケントから列車で草原を走ること3時間。サマルカンドへ。
賑やかなバザールで、ラグマン(麺に肉や野菜のトマトベースの炒め物をかけたもの)を食べる青木さん。「冷めてるけど、めちゃウマい」と3回。(ラグマン、ほんとに美味しいのです。麺は、日本のうどんとそっくり)

モスクやマドラサ(神学校)などペルシア風の大きな建物が、コの字型に3つ並ぶレギスタン広場へ。 
「なんじゃこれ、外国人が日本に来て法隆寺を観たときのインパクトと同じかな」とつぶやく青木さん。お祈りの声も聴こえてきて、あの圧倒される光景を思い出しました。
ペルシア風の青いタイルの建物(お墓)が両脇にたくさん並ぶシャーヒージンダの映像も。お祈りが根付いた空気を感じる青木さん。

今度はプロフ(ピラフ)を食べる青木さん。
『旅のおわり世界のはじまり』では、バラエティー番組のリポーター役の前田敦子さんが、まだちゃんと炊けてないプロフを美味しそうに食べる場面がありました。

女性の物売りが活躍する市場で、鳥がクチバシでつついて選ぶ占い。キリル文字で意味がわからない! (帰国して読んでもらったら、「会いたい人に会える・・・」という、今回の旅にぴったりの内容でした!)

5月18日 列車でブハラへ。
11時半に到着し、レストランchinarでブハラ風プロフ。サマルカンドのとはまた違います。
そしてバザールへ。「アメイジング!」とわくわくする青木さん。
住宅街を歩いていて、子どもたちに挨拶。そして男性に誘われるままに家の中へ。
紅茶にコーヒー、ビノ(ワイン)に駱駝のミルクのヨーグルトを振舞われます。
「ジャパン、ウズベク、フレンド!」とおじさん。

タシャックル(タジク語) ラフマット(ウズベク語)と、脇にテロップが入る。
どうやらこのおじさんはタジク人らしい。
ウズベキスタンには、ペルシア系のタジク人も多く住んでいて、タジク語はペルシア語と基本が同じ。タジク人を探して、ペルシア語で話したのを思い出します。
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「最初は物を買わされるかと疑ってた、ごめんなさい」と青木さん。
上映後のトークで、「こっちが感動して別れを惜しんでるのに、あっさりと家に入っていくので、これが日常なんだろうなと思った」と語っていました。

地元の人に声をかけられて家に行くという、イスラ―ム圏ではよくある光景。
ウズベキスタンだけでなく、イランやトルコ、ウィグル、そしてアラブの国々でも、散策中、ほんとによく家に招かれました。イスラームというと「怖い」とよく言われますが、それは過激派のせい。イスラームには、お客様は神様からの贈り物という教えがあって、旅人をもてなすことはいたって自然なこと。

「人が優しくて、サイコーです」と青木さんも映像の中で語っていたように、ほんとに人がいいのです。

上映後のトークもとても楽しいものでした。
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フォトセッションの時に目線を貰って撮ったあとに、「ラフマット」(ウズベク語でありがとう)と言ったら、青木宗高さん、大きく手を振って「ラフマット」と返してくれました。ほんと、いい人だ! (咲)


『旅のおわり世界のはじまり』本編でも、青木崇高さんの映像にあったサマルカンドのレギスタン広場やシャーヒージンダ廟、ブハラの旧市街やバザールなどがたっぷり味わえます。

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(C)2019「旅のおわり世界のはじまり」製作委員会/UZBEKKINO


『旅のおわり世界のはじまり』
監督・脚本:黒沢 清
出演:前田敦子、加瀬 亮、染谷将太、柄本時生、アディズ・ラジャボフ

配給:東京テアトル
公式HP:tabisekamovie.com
★テアトル新宿、ユーロスペースほか全国公開中

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(C)2019「旅のおわり世界のはじまり」製作委員会/UZBEKKINO


*作品紹介*
“舞台で歌う”という夢を胸に秘めたテレビリポーターの主人公・葉子(前田敦子)が、番組クルーと取材のためウズベキスタンを訪れ、異国での様々な出会いによって、新しい扉をひらき、成長していく姿を描く。
ウズベキスタンで全編ロケされた本作は、美しい風景の1コマごとに主人公の心の移ろいを映し出し、主人公たちと一緒に異郷を旅する気分へ誘う。




posted by sakiko at 15:55| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする