2018年07月07日

釜山の旅 二日目 釜山国際映画祭の会場を訪ねました  (咲)

7月2日(月)
初めての釜山の旅、2泊3日の中日で丸一日使える日。映画の町をたっぷり味わいたい!と、予定を組みました。とはいえ、今回は妹の孫も一緒。小学校4年生の男の子にも満足してもらわないといけません。
妹が去年10月に訪れた時に「魅力の都市、中区 映画にハマる」という、情報満載のマップを貰ってきていたので、それを指針に歩きました。

まずは釜山タワーへ
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高台から釜山を眺めようと、タワーのある龍頭山公園へ。
南浦駅で降りて、光復路からエスカレーターで行けるのですが、香港の中環の長い長いエスカレーターのよう!
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龍頭山公園の頂上から、眼下に入り組んだ港と、山肌までびっしり家の建つ釜山の町を楽しみました。
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それで充分だったので、タワーにはのぼらず、公園の右手裏手に下りたところにある「釜山映画体験博物館」を目指しました。でも、月曜日でお休み。
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そのすぐ1本下の道にある「華国飯店」は、釜山3大中華レストランの一つで、『新しき世界』でファン・ジョンミンがイ・ジョンジェに右腕になってほしいと乾杯する場面を撮ったお店。『悪いやつら』や『コンフィデンシャル 共助』でもロケしているそう。これは絶対、ここでジャージャー麺と酢豚を食べたい!

『コンフィデンシャル 共助』のロケ地に出会う
華国飯店の開店11時半まで30分程あったので、近くの「40階段」に行ってみることに。
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40階段方面に渡る横断歩道の手前に、『コンフィデンシャル 共助』のロケをした時の写真が張り巡らされた建物が。北朝鮮のエリート刑事(ヒョンビン)と韓国の刑事(ユ・ヘジン)が協力して追撃戦を繰り広げた東光洞でした。撮影しているところを見てみたいと妹の孫。そりゃもう、私も!

「40階段」
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朝鮮戦争で避難してきた人たちが、はぐれた時の待ち合わせ場所にしたところ。当時の人たちのことを思うと切なくなりました。
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この階段の下では、『NOWHERE 情け容赦無し』(イ・ミョンセ監督、1999年)の冒頭のどしゃぶりの雨の場面が撮影されています。パク・チュンフンとアン・ソンギが立っていたと記憶していたのですが、冒頭は刑事役のパク・チュンフンとチャン・ドンゴンだったようです。(要確認!)  思えば、この映画を観た当時は、まだチャン・ドンゴンのことを認識してなかったです。
近くにある「40階段文化館」も月曜日で休館。
さぁ食事!と華国飯店に戻りましたが、開く気配なく・・・ 残念!
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近くにあったお店でカルククス(豆乳うどん)をいただきました。

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釜山近代歴史館(日本統治時代、東洋拓殖株式会社釜山支店だった建物)も月曜日で休館。

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宝水洞本屋通りへ。『ザ・キング』でチョ・インソンが駆け巡った古本屋街。

『国際市場で逢いましょう』の国際市場へ
ファン・ジョンミン演じるドクスの店を撮った「コップイネ」には、映画の写真もあると案内にあったのですが、あまりに広大な国際市場。残念ながら見つけられませんでした。
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なのに、ガイドブックに見つけにくいと書いてあった「しんちゃんトースト」は、なぜか見つけてしまいました。(お腹いっぱいで食べられず!)

いよいよ、釜山国際映画祭(BIFF)ゆかりのBIFF広場へ
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釜山で最も古い映画館、釜山劇場と大淵シネマの2館が囲む広場。元々はここが映画祭のメイン会場でした。
映画人の手形があることでも有名。
さっそく今村昌平監督など日本の映画人の手形が目に入りました。
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イランのモフセン・マフマルバフ監督の手形
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そして、キアロスタミ監督の手形に感無量!

釜山のマチュピチュ 甘川文化村へ
チャガルチ駅そばの交番でマウルバス(ミニバス)の乗り場を教えてもらって、甘川文化村へ。(マウルバス 1、1−1、2−2で行けます。)
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斜面に沿ってびっしり建てられた家屋を保存しながら、アートで町興ししているところ。さすがに外国人が多い! 特に中国人をたくさん見かけました。
ここもドラマ「赤道の男」ほか、ロケに使われています。
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眺めのいいカフェ「友人」で、ハッピンス(カキ氷)をいただきました。
小豆、きな粉、アーモンドスライスの乗った伝統的な味。3人でシェア。韓国では、男性どうしでシェアしている姿もよく見かけます。

マウルバスでチャガルチ駅まで戻るつもりだったら、マウルバスの運転手さんが「サブウエィ! サブウェイ!」と叫んでくれて、一駅手前の土城駅のところで降りることができました。なにしろ、乗客は外人ばかりですから、運転手さん気を使って大変。

映画の殿堂のあるセンタムシティーへ
1号線土城駅から西面駅まで行って、2号線に乗り換え、センタムシティーへ。
駅を降りると、地下から直結で正面にロッテ百貨店。左手に新世界百貨店。どちらの百貨店の中にも映画館があって、釜山国際映画祭の時には上映館として利用されるそうです。
新世界百貨店裏手の免税店の建物のさらに向こうが映画の殿堂。
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映画祭のメイン会場として、2011年に建てられた映画の殿堂。とにかく大きいです。
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映画祭のオープニングが行われる大屋根の下の観客席。
いつかここに座ってみたい♪

1階にはグッズのお店もありましたが、閉まってました。
映画の殿堂の日本語パンフレットをいただいてきました。

海雲台(ヘウンデ)の長〜いビーチへ
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ここも映画やドラマによく出てくるところですが、映画祭の時にはBIFF特設オープンステージが設営されて、いろいろな催しが行われるとか。
小学4年生の妹の孫は、元気に砂遊び。私たちは、もう限界。へとへと〜

海雲台駅からビーチに行く途中の右手に、豚肉の美味しそうなお店があって、外国人でいっぱい。今日はそこで夕食と、入ってメニューを見せてもらったら、豚は豚でも臓物ばかり。これは無理〜 向かい側の牛と豚の絵が可愛いお店に変更。
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サムギョプサル(豚の三枚肉)を頼んだのですが、配膳された副食が、なんだか昨日と似てる! 昨日のお店は牛肉しかなかったのですが、系列店でした。

一日たっぷり映画の町を味わって、ホテルにたどり着いたのは、11時。
あ〜 今日もチムヂルバンに間に合わず。




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2018年07月06日

釜山の旅 2日目朝 『友へ チング』と国民的画家イジュンソプゆかりの汎一洞を歩く (咲)

7月2日(月)朝、一人で7時半にホテルを出て、『友へ チング』(クァク・キョンテク監督、2001年)の撮影が行われたクルム鉄橋へ。
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地下鉄1号線汎一(ポミル)駅、7番出口をあがったところにある現代百貨店右脇を道なりに歩いていくと細い路地になって、その先に鉄橋が見えてきました。
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鉄橋のたもとには、『友へ チング』の4人の学ラン姿の写真。映画の最初の方で、まだ高校生だったチャン・ドンゴンやオ・ユソンたちが、学ラン学帽姿で走り抜けていくシーンを思い出しました。
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下から10段目位のところに、足とカメラのマーク。ここで写真を撮れという印?
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上って行くときには実は気がつかなかったのですが、戻ってきた時に振り返ったら、階段に4人の顔がプリントされていました。陽にあたって、かなり色あせています。
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鉄道の上にある鉄橋を渡って、川沿いの細道を少し行くと大通り。
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橋の上に、4人の写真と、チャン・ドンゴンとオ・ユソンの手形と足形に、サインも。写真は、鉄橋の側からも見えるよう、両面になっています。この大通りを左のほうに進むと、他の学校の学生と大喧嘩したシーンを撮影した映画館「三一(サミル)劇場」があるのですが、行かずに引き返しました。
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大通りを渡った向こうには小高い丘。大きな教会も見えました。
何気なく撮った写真なのですが、ホテルに戻って、ホテルで貰った「東区観光」の地図を見てみたら、「イ・ジュンソブの汎一洞(ポミルドン)風景」と名付けられた地区だとわかりました。

イ・ジュンソブとは、39歳で非業の死を遂げた国民的画家。日本留学時代に知り合った日本女性と終戦間際に朝鮮北部元山(ウォンサン)で結婚。1950年、朝鮮戦争が起こり釜山へ避難。さらに家族4人で済州島に渡るも、1952年、体調を崩した妻と子供は日本人送還船で日本へ。当時は日韓の正式国交がなく、ジュンソプは韓国に留まり、1956年に39歳の若さで亡くなられました。

私がイ・ジュンソブのことを知ったのは、酒井充子監督の『ふたつの祖国、ひとつの愛 〜イ・ジュンソプの妻〜』を通じてのことでした。
酒井充子監督インタビュー
http://www.cinemajournal.net/special/2014/joongseopswife/index.html

「イ・ジュンソブの汎一洞風景」の高台には、奥様の名前が付けられた”方子(マサコ)展望台”があるそうです。事前にわかっていれば、歩いてみたかったですが、かなりの高台。途中でめげたかも。
朝鮮戦争で釜山に避難してきた人たちが、高台に暮らさざるをえなかったことを思うと、そんな根性なしは申し訳ないですね。
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汎一駅に戻ってきたら、7番出口の現代百貨店前にこんな案内図がありました。
ハングルが読めないので、チングストリートの案内かな?と思ったのですが、案内は二つあって、片方が「イ・ジュンソブの汎一洞風景」だったという次第でした。
また釜山を訪れる機会があったら、ぜひイ・ジュンソブ画伯を偲びながら歩いてみたいものです。





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2018年07月05日

釜山の旅 サウディアラビアの女性に出会った初日 (咲)

7月1日〜3日、釜山に行ってきました。
父が泊りがけで松本に行くというので、妹と一緒に出かけられるチャンス!と、旅先を思い巡らし、国内よりも気分転換できるところと釜山に。LLCのエア釜山利用で、交通費は国内の遠いところよりも安くすみました。

釜山といえば、映画祭の町!
釜山を舞台にした映画も多々ありますが、『カンチョリ オカンがくれた明日』(アン・グォンテ監督、2013年)で、オカン(キム・ヘスクさん)が風呂屋の煙突の上から眺める釜山の町の海あり山ありの風光明媚な光景が真っ先に思い浮かびます。

妹が去年10月に行ったばかりで土地勘があって、市場の多い凡一洞(ポミルドン)にあるHOTEL LA MERを予約してくれました。地下鉄1号線の凡一(ポミル)駅から歩いて5分。併設の海水温泉のサウナ&チムヂルバンも無料で利用できるとあって、楽しみ〜
凡一洞地区で検索してみたら、映画『友へ チング』(クァク・キョンテク監督、2001年)ゆかりの地だとわかって、散策も楽しみ♪

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荷物を置いて、まずは両替も兼ねて、釜山駅(凡一駅から4つ目)近くのチャイナタウン上海街へ。大きな中華風の門をくぐって、大通りの一本裏道に入ると、中国風の趣の通り。ロシア語だと思われるキリル文字も見えます。

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入ってほどなく草梁(チョリャン)歴史展覧館という1910年〜1970年頃までの草梁地区の変遷を写真で見せる小さなコーナーがありました。日本統治時代から独立し、朝鮮戦争を経て復興を遂げていく過程。厳しい時代の写真に心が痛みます。
そこを出たところで、スカーフ姿の若い女性が目に入りました。顔立ちは中東風。ムスリマに違いないと、「アッサラ―ムアレイコム」と声をかけたら、「ワレイコムサラーム」と返ってきたので、こればアラブかなとアラビア語でどこから?と尋ねたら、サウディアラビアの女性でした。車を運転する身振りをして、ムバーラク(おめでとうのつもり)と言ったら、わかってくれて、すごく喜んでくれました。
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彼女がいたところのお店の看板を見たら、halalの文字。ウズベク料理屋さんでした! なるほどと! ここの中華街にはロシア料理も多いと書いてあったのですが、ウズベク料理も散見されるようです。
サウディの女性の写真を撮るのは失礼かなと思ったので写真は残念ながら撮りませんでした。私らしい旅のスタートとなりました。

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草梁地区では、朝鮮戦争の時、避難民が山の斜面に沿ってびっしり建てた住居のあたりを「草梁イバグギル(物語の道)」として散策コースが整備されています。かつて練炭や水を運ぶのに避難民の方たちが苦しめられた168階段には、2016年に地元の方たち優先のリフト(モノレール)が出来たとあり、妹が写真を見せて片言のハングルでハルモニ(おばあさん)に尋ねたら、音がうるさいので、夜は住民に迷惑だから、もうやってないと言ってるらしいとのこと。まだ明るかったのですが、もう8時近く。確かに、8時でリフトは終わると後でわかりました。

気を取り直して、広安大橋(通称ダイヤモンドブリッジ)の夜景を見に行くことに。
映画『TSUNAMI-ツナミ-』(ユン・ジェギュン監督、ソル・ギョング、ハ・ジウォン共演、2009年)の冒頭で登場する橋です。
地下鉄2号線 金蓮山(クムニョンサン)駅で下車。8番出口をあがったら、下り坂の向こうにピンク色にライトアップされた橋が遠くに見えました。
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海辺まで行ってみました。橋をバックに記念撮影スポット。
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9時ごろオニャンプルコギ釜山で、やっと夕食。網で焼くプルコギ。美味しかった♪
お店で働いているアジュモニたち、9時半ぴったりに5人ほどがさっと身支度して帰っていきました。
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ビーチ沿いの眺めのいいアイスクリーム屋さんで、マンゴーのかき氷を頼んだら、店員の若い女の子たちから、あと10分で閉店だからテイクアウトのみと言われてしまいました。がっかりした顔をしたら、お席でどうぞと言ってくれたので、急いで食べますねと言ったものの、大分量のかき氷! さっきのプルコギ屋さんと同じく、10時ぴったりには帰りたいのだろうと、必死になって格闘しました。

そして、10時ちょうどに外に出てみたら、ダイヤモンドブリッジのイルミネーションが、色とりどりに変化して、どうやら音楽も鳴っているようでした。
ホテルに帰り着いたのは、11時過ぎ。
無料で入れるというチムヂルバンを楽しみにしていたのに、11時で終わってました。残念!





posted by sakiko at 21:24| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

奈良・お水取りの旅 近鉄の忘れ物対応が悪かったお陰で今井町散策 (咲)

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もう2週間前のことになってしまいましたが、3月12日から4日間、東大寺の修二会のクライマックスを見届けに奈良に行ってきました。
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「お水取り」で知られる修二会。12日は、そのお水取り神事の行われる日。3月1日から毎晩、修行している練行衆の方たちが夜の二月堂にあがる足元を照らす松明も、12日は籠松明という特別仕様の丈の長いもの。3月1日から15日明け方までの修二会期間中、一番多くの見物客が集まる行事です。今回は、この一番混むお松明から、修行の終わる15日の未明までを見守ろうという旅。

近鉄奈良駅近くのホテルに1時集合。京都から奈良に直行する特急がちょうどあったのですが、510円の特急券をけちって、京都駅12時発の橿原神宮前行の急行に乗車。KさんとNさんが飼い猫の話題で盛り上がる中、私は精一杯、イスタンブルの猫を追ったドキュメンタリー『猫が教えてくれたこと』に出てきた猫ちゃんのことを話す位。
大和西大寺に12:43に着いて、大慌てで12:45発の電車に乗り換え、近鉄奈良駅に12:50に到着。そこで、Kさんが乗り換える時に網棚にリュックを置き忘れたことに気がつきました。駅員の方に、乗っていた車両も位置も伝えたところ、終点の橿原神宮前に着くのが、13:03なので、その時間が過ぎた頃に橿原神宮前駅に電話してくださいと言われました。1時過ぎに電話したところ、届出がないとのこと。その後、駅や近鉄の忘れ物センターに何度も電話したけど届出なし。警察にも届けてみてくださいと言われたとKさん。

置き忘れたリュックは気になるけれど、とにかく主目的の二月堂へ。籠松明があがっていくのを絶好の場所で見て、11本あがり終わって、二月堂への階段を一番乗りで駆けのぼり、二月堂内陣の正面を格子越しに眺めることができる西局の最前列を確保! (許可をいただくと男性は内陣に入れるのですが、女人禁制。女性が入れる最高の位置)
大導師作法、荒師作法、走り、香水授与、二月堂下の若狭井に水を汲みに下るお水取り、そして、最後に達陀(だったん)の行法。松明をお堂の床で引き回すダイナミックなもの。ほのかにゾロアスター教との繋がりを感じます。まるでオペラのような声明に酔いしれた8時間。終わったのが4時頃。まだ真っ暗な中、宿に戻る前に近鉄奈良駅前の警察署へ。宿直の若い女性警官の方が笑顔で対応してくださいました。その時点では、警察の忘れ物リストには載ってなかったのですが、朝10時過ぎ、電話がかかってきて、橿原警察署に届いているとのこと。この日は予定がぎっしりで、翌日、一緒に取りに行くことに。
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  こちらが普通の松明
13日、修二会の見物客は少なめ。なんと、松明をお堂の上で目の前で見ることができました。夕方5時頃に二月堂にあがったら、お堂の正面にロープが張られ、カメラを持った人たちが待機しているのです。東大寺の会場係の名物おじさんが、「松明が終わるまで3時間、トイレに行かせへんよ。その覚悟があればおり」と。同行の一人が、「私はいる!」と宣言。私も一緒に頑張りました。目の前を走る松明は圧巻でした。この日も深夜までお堂の中で法会を見守りました。正面は5時の時点で場所取りの人で満杯。内陣を脇から見る北局の最前列で。これもなかなかよかったです。(来年、修二会に行きたいという方、場所の確保のノウハウを伝授します♪)

14日、忘れ物を取りに行くついでに、橿原神宮に行ってみてもいいなと思って地図を見たら、橿原警察署は八木西口駅から約10分。すぐ近くに重要伝統的建造物群保存地区である今井町が! 東西600m、南北310mの、かつては水路に囲まれた中に、江戸時代以来の伝統洋式の町家が今も500軒位残る町。40年程前に一度訪れたことがあり、とても歩ききれなくて、いつかまた訪れたいと思っていた町でした。
まずは、今井町散策の前に橿原警察署にリュックを取りに。忘れ物係の方から「届け出たのは近鉄の職員さんですから、お礼はいらないですよ」と言われ、「え〜っ??」と唖然。あんなに近鉄に問い合わせたのに! 近鉄にも忘れ物センターはあるのに、駅から10分もかかる警察署に届けるなんて!
そも、私の利用している京王線なら、時々、「ただいま忘れ物を探しています」とアナウンスが入って、電車の発車が遅れることもあるのに、近鉄では、そういう探し方をしないのですね。たまたま警察に届けたから見つかりましたが、たくさんの大切なものが入ったリュックを友人は諦めるところでした。
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リュックを受け取り、ほっとして、2時間程、江戸時代にタイムスリップしたような今井町を散策。そのまま映画のセットに使えそうな町並みですが、NHKの朝の連続ドラマ「あさが来た」のロケも行われたとか。

今井町から奈良に戻り、修二会最後の夜に臨みました。
最終日の14日は、10本の松明が、二月堂の欄干のところに一斉に並ぶので、12日に次いで松明見物の人が多い日。10本並んだ松明の火の粉がまだ残る中、内陣正面の見える位置を確保し、最後の夜の法会を見守りました。この日は1時頃に達陀(だったん)の行法が終わって、きつねうどんをいただき、ほっと一息。静かな二月堂から眺める奈良の町が素敵でした。

忘れ物のお陰で、今井町の散策が出来た旅でしたが、さらにオマケが。
たまたま、15日の11時から春日大社でお田植え神事があるのがわかって、行ってみました。最初に黒い牛(もちろん人が演じてます)が出てきて、モウ〜モウ〜と田んぼを耕し、その後、巫女さん風の衣装の女性たちが、笛に合わせて田植えを踊りで見せるという風雅な神事でした。
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 奈良といえば鹿ですね。絵馬も鹿。

その後、京都に出て、京都の友人と遅いランチをしたら、2日間から数日限定で、京都のあちこちのお寺で涅槃図を公開していると聞かされました。お釈迦様のご命日。もう疲れ果てていたのですが、泉涌寺に案内して貰って、日本最大の涅槃図を拝見。8m x 16m。ご本尊どころか、天井画も隠れてしまう大きな涅槃図でした。
映画を1本も観ない1週間でしたが、それもまた良し。ご利益あるといいな・・・





posted by sakiko at 21:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

一家4世代でハウステンボスの旅 〜戦争中、特攻艇の訓練をした大村湾に思いを馳せる父〜  (咲)

この19日〜21日の3日間、父、妹、姪、姪の息子(小学校2年生)の一家4世代でハウステンボスと長崎に行ってきました。
妹が、震災復興割でハウステンボスのパスポートも付いた激安ツアーを見つけてくれたのですが、何より喜んだのは父でした。戦争中、海軍に所属し震洋という特攻艇の訓練をしていたのが、長崎の大村湾。訓練所のあった川棚はハウステンボスのすぐ隣の町。4年前に一緒にその訓練所跡を訪ねたことがあるのですが、また大村湾を訪ねる機会ができて感無量のようでした。
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長崎空港に着き、船でハウステンボスへ。7ヶ月間にわたって魚雷艇を乗り回していた大村湾を船で行くのは格別の思いがあるようでした。そも、空港のある島自体、訓練中に目標としてよく使ったところだそう。曾孫に一生懸命説明する父。
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ハウステンボスの一番高いタワーの上からの眺め。いくつかの入り江の向こうが父のいた川棚。ハウステンボスのあるところには、海兵団があったそうで、こんなお洒落な場所になるとは思いもよらなかったと!

父の海軍時代のことは、戦後70年特集を組んだシネジャ94号で、“『筑波海軍航空隊』に父を思う”という記事に書いたことがあります。
父は話し好きなので、小さい頃から海軍時代のこともよく聞かされてきたのですが、94号の記事を書くにあたって、父にあらためて色々聞きました。今回の旅の間にもまた、これまでに聞いたことのなかった話を聞くことができました。
今や東京から2時間で飛んで行ける長崎。横須賀にあった武山海兵団から、任地・川棚へは、長崎行きの列車の後部に専用車を連結して300名が大船から乗車。途中の駅で面会に来た家族たちからの差し入れの食べ物が飛び交ったそうです。父も、大阪で義兄と小さな甥たちが会いにきて、デッキで話している内に列車が発車。義兄たちは神戸まで一緒に行ったとか。大船を夕方に出て、2夜を列車で過ごし、2日後の早朝に川棚に着いたそうです。隔世の感があります。
家族面会指定日に母親が疎開先から訪ねてきてくれたのですが、皇族の方が慰問に来られ、面会日が一日先延ばしになり、面会にきた母親たちは嬉野温泉に泊まりにいったという話も。もしかしたら、息子との今生の別れになるかもしれない面会日。母親たちは、どんな思いだったでしょう。

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ハウステンボスのイルミネーションを観ながら、ほんとに平和な時代に私たちは育って、それだけで幸せだと思いました。でも、世界の各地で、今も戦争に巻き込まれている人たちが大勢いることを忘れてはならないですね。

長崎の写真もちょっと!
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長崎・出島で、飽きもせずじっと説明をみる姪の息子。真面目で探究心の強い性格。「いったい誰に似たのかしらね」と言いながら、「あ、曾爺ちゃんか」と妹。

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グラバー邸で曾孫と一緒で嬉しそうな父。
posted by sakiko at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする