2017年07月01日

香港回帰から20年の日  映画『十年』が現実になる日を憂う(咲)

20年前の7月1日。香港島中腹にあるYWCAの一室から、総督邸の屋根の上の旗が、赤い旗2本に変わったのを眺めていたのを思い出します。どしゃぶりの雨にめげて、昼ごろまでベッドの中で回帰記念式典の中継をぼぉ〜っと見ていたのですが、陳方安生(アンソン・チャン)さん(中国返還前の香港政庁と返還後の香港政府でナンバー2の政務官)の真っ赤なスーツに、まさに中国回帰を感じたものです。一国二制度を50年間保証するというけれど、はたしていつまで保たれるのだろうということも頭をよぎりました。

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7月22日から新宿K‘s cinema他で全国公開される『十年』は、製作された2015年から10年後の香港を描いた5つの物語。3つ目の物語『方言』は、普通語(中国で使われる標準中国語)が出来ないタクシー運転手の悲哀を描いた痛烈な作品。大陸から来た客から言われた行先がわからない。若い子から広東語読みの地名を教えられる始末。やがて、空港や主要ターミナルのタクシー乗り場には普通語が出来ないと入れなくなる。そんなことが現実になる日もありえるかもと思わせられた一作。

20年前、返還直前の町で、小学校6年生くらいの男の子が、「大陸の中国語をどう思う?」とマイクを向けられて、「簡体字は、略しすぎて、漢字に失礼だ」と答えていたのを思い出します。繁体字の看板もだんだん肩身が狭くなっていくのでしょうか。もう何年も行ってない香港。広東語の響きこそ香港と感じさせてくれるのに、今や、普通語が幅をきかせているようで、行くのがちょっと怖い。
さて、本日行われた香港回帰20周年の記念式典、公式な場で広東語はひと言も使われなかったとか。
民主化を求めて抗議する人たちの姿を見ながら、あと、30年、香港は香港であり続けられるのかなと思った一日でした。
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2017年05月06日

高田渡さんとのエピソード

 『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』が公開中ですが、私は高田渡さんとはなんだか縁があります。高校時代、バイトして初めて買ったのが高田渡さんのレコードだったし、渡さん(と言わせていただきます)と8年くらい同じアパートの住民でした。
 今年(2017年)2月頃、ココロヲ・動かす・映画社 ○ の樋口義男代表にインタビューした時、吉祥寺に作る映画館(ココロヲ・動かす・映画館 ○)で上映していきたい作品のことについてお聞きした中で、吉祥寺にゆかりのアーティストの特集もしたいという話が出て、ぜひ高田渡さんの映画を上映したいと言っていました。それで私が高田渡さんと同じアパートに住んでいたと話したら、すっかり高田渡さんの話題で盛り上がりました。その時に高田渡さんの新しい映画が公開されると言われ、2005年に亡くなって12年もたつのに、渡さんの映画が製作されたと知りびっくりしました。
 その作品が4月29日から公開されている『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』。これは渡さんが北海道のライブ先で倒れる1週間前に、東京・高円寺にある居酒屋「タイフーン」で行なったライブの貴重な記録です。そして、この映画の冒頭で私の部屋の窓が出てきました!
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 ところで、私は高田渡さんとは何かと縁があります。
まず、私が高校時代、初めてバイトして買ったのがギター(ガットギター)とLPレコードで、それは五つの赤い風船と高田渡さんのカップリングのレコードでした。高校3年の時(1969年)フォークソングにはまり、岡林信康、高石友也、中川五郎など、関西フォークをよく聴くようになった中で、高田渡の「自衛隊に入ろう」を知りました。「自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう 自衛隊に入って花と散る」という衝撃的な歌詞。ものすごい皮肉。1回聴いただけで歌詞とメロディを覚えてしまいました。そんなこともあって、初めて自分で稼いだお金で買ったのが、その曲が入ったLPだったのです。その後、吉祥寺や下北沢であったライブにも行きました。
 1980年代に武蔵野市(最寄駅は三鷹駅)に引越したのですが、近所で渡さんが歩いているのを何度か見かけ、この近辺に住んでいるのかなと思っていました。その後、1997年に近くのアパートに引越したのですが、そこが渡さんが住んでいるアパートでした。引越した時、水道が出なくて困っていたら、渡さんが家から出てきて「確か水道の元栓はここだったな」と言って、元栓を開けてくれました。それで、渡さんはこのアパートに住んでいると知りました。その時にお礼を言って、初めて買ったLPが高田さんのレコードでしたと言ったら、照れてそそくさと家に戻っていってしまいました(笑)。
 私は渡さんの家の斜め上に住んでいたのですが、会社員だったので平日はほとんど夜遅くに帰っていたから、そんなに渡さんに会うことはありませんでした。でも、会った時は挨拶は交わしていました。
そんな中、友人からパソコンのプリンターをもらった時、友人が高田渡さんが住んでいるアパートをみたいと言ってプリンターを持ってきてくれました。私が住んでいたアパートは住宅街の中にあり目印になるものがなくわかりにくかったのですが、友人が家の近くまで来た時、なんと渡さんが外でタバコを吸っていて一番の目印になってくれました(笑)。同じアパートに住んでいてもめったに会わないのに、友人は渡さんを見ることができてラッキーでした。
 それに高田漣さんのお母さんでもある、渡さんの最初のパートナーとも、ある催しで知り合いました。彼女は京都から東京に二人で来たときのエピソードを話してくれましたが、後に、私が渡さんと同じアパートに住むことになったと伝えたら驚いていました。彼女は渡さんが亡くなってお通夜に来た時、私の家にも立ち寄ってくれました。そういえば、お通夜には私も線香をあげにいったのですが、高田家には日本フォーク界のそうそうたるメンバーがいました。祭壇前の座布団にはなぎら健壱さんが座っていて、線香をあげるためどいてもらいました(笑)。
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 また、『タカダワタル的』が公開された時も不思議なことがありました。若い友人から「高田渡って知ってる? 同じマンションに住んでいる人が『タカダワタル的』のプロデューサーで、今度、観にいってみようと思っているんだけど」といわれ、「知っているもなにも同じアパートに住んでるよ! それに、この映画のタナダユキ監督にもインタビューしているよ(シネマジャーナル61号掲載)」といったらビックリぎょうてん。そんなことってあるんだねと大笑い。この中に出てきた猫は時々私の家にも遊びに来ていたけど、この映画で高田家で飼っている猫と知りました(笑)。それまでは野良猫だと思っていました。
 さらに、その友人がこの映画を観て「いせや」に行ってみたいというので忘年会を企画して、いせやに行ったのですが、その帰りに三鷹駅で渡さんとバッタリ会いました。渡さんは地方でのライブの帰りと言っていました。私は「『タカダワタル的』を見て、「いせや」に行ってみたいという友人たちといせやで忘年会をした帰り」と言ったら、渡さんは苦笑い。すでに、体力が落ちていたのかもしれません。奥さんが駅まで迎えに来ていて、彼女がギターを持ち駅の階段を下りていきましたが、渡さんはフラフラと下りていました。でもまさかその4ヶ月後に亡くなってしまうとは。まだ56歳でした。今、思えば、渡さんと最後の言葉を交わしたのは、この時だったと思います。
 渡さんが亡くなった後も奥さんはアパートに何年か住んでいましたが、数年後引越されました。アパートは老朽化し2010年に立ち退きになりましたが、その後解体されました。私はいつ解体されたか知らず、更地になったところは見たことがありますが、なんと『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』の最後にはアパートの全景が出てきてびっくり。解体が始まるのでその作業が始まるところでした。なんでも代島監督はこのアパートのそばに住んでいて、このアパートの解体の日を張り紙で知り、撮影したと言っていました。「転居しました 高田」という張り紙と、何もない高田家の部屋の様子が映し出され、渡さんはもういないんだなあという思いにかられました。それにしても、いまはない自分が住んでいたアパートの姿を映画で観るとは。貴重な経験になりました(笑)。(暁)

シネマジャーナル 
『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/4494773.html

『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』公式HP
https://www.takadawataru-lastlive.com/






posted by akemi at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

映画初め『この世界の片隅に』と『こころに剣士を』  庶民を巻き込む戦争に涙 (咲)

新年あけましておめでとうございます。
遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願いします。
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お天気に恵まれたお正月でしたね。
今年が、このお正月の晴れ渡った青空のように、すっきり明るい一年でありますように!
(日記を書いている今日は曇り空!)

さて、今年の映画初めは5日でした。
年末に満席で涙を飲んだ『この世界の片隅に』を4日に観ようと思って、3日に予約しようと新宿ピカデリーのサイトをみたら、もう前のほうしか空いてない!!  5日、11時5分の回で、無事、後寄りの片隅の席を確保。(隅っこじゃないと落ち着かないのです)

やっと観た『この世界の片隅に』。原爆が落とされる前の広島の街並みに、胸が熱くなります。
戦況が悪化して庶民の生活が変わっていく様や、軍港のあった呉のほうが、広島より先に空襲で焼け野原になったことなどがよくわかりました。助け合いながら、なんとか生きていこうとする人々の姿に、またじ〜んとしてしまいました。
両親や祖父母の世代が経験した戦争の時代を、私たちはこうした形で追体験し、今も世界の各地で戦渦に苦しむ人たちがいることを忘れてはならないと思いました。
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映画を観終わって、浅草へ。
時折見かける着物姿は、ほとんどが外人さん。
ここにいる人たちは、幸せだなぁ〜と、青空を見上げながらつくづく。

サントリー美術館で父と合流。「小田野直武と秋田蘭画」を鑑賞。
予備知識なく行ったのですが、小田野直武(1749〜1780)が角館出身と知って、ぐっと親近感がわきました。20代の頃から、何度も通った角館ですが、秋田蘭画という西洋と東洋の美を融合させた画風が育ったことを知りませんでした。
小田野直武は、平賀源内が鉱山調査で秋田藩を訪れたのを機に江戸へ。解体新書の挿絵を担当しています。32歳の若さで亡くなりましたが、その画風は、秋田藩主や角館城代の人たちにも影響を与えたとのこと。

ゆっくり展示を観て、5時15分にGAGAの試写室へ。
6時からの『ラ・ラ・ランド』、本年度アカデミー賞大本命とあって、早めに行ったつもりだったのですが、遅かった!  満席で入れず、せっかく今日は夜遅くなってもいいのに・・・と思い巡らせ、ヒューマントラスト有楽町に『こころに剣士を』を観にいくことに。
これも早く観たかった映画です。
フィンランド・エストニア・ドイツ合作。『ヤコブへの手紙』のクラウス・ハロ監督作品。
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1950年代初頭、ソ連占領下のエストニア。元フェンシング選手のエンデルは、ドイツに占領されていた第2次世界大戦中、ドイツ軍に属していたことから、ソ連の秘密警察に追われる身に。田舎町ハープサルの小学校で子どもたちにフェンシングを教える仕事を得ますガ、実は子どもは苦手。それでもフェンシングが上達してきた子どもたちに、レニングラードでの全国大会に出たいとせがまれ、身の危険を覚悟で出場を決意します。
この子どもたちもまた、スターリンの粛清で父親不在の暮らしを強いられているという背景。

映画初めの5日に観た2本は、いずれも子どもまでもが戦争に翻弄される物語でした。
平穏に暮らしていることを感謝しつつ、この世から戦争がなくなることを願うばかりです。
posted by sakiko at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月07日

作品紹介が追いつきません、すみません。

毎日ブログを書いている(美)さんを見習って、早め早めにと思うのに手が動かず間際に慌てる段取りの悪さ。この前はサーバーに不具合があり、もっと早く書け〜!ってことだなと大いに反省。いつもHPにリンクをはってくれる(山)さんお許しを。

以前は試写で映画を観られたらどんなに嬉しいか、と思っていました。お蔭さまで年々数が増えてきまして年に100本観ていたかと思えばいつのまにか200本を越え、300本、この頃は350本ペース。今や積んだ荷物が多くて撃沈しそうです(汗)。夜の試写に行きづらい主婦なので、積み残しも多々。気になる試写は外したくないし、試写は来なかったけど巷で人気の作品は観ておきたいしで、自分で残り少ない時間を削っているような有様です。
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公開作品の多かった8月、試写室通いのほかに劇場で『シン・ゴジラ』『ファインディング・ドリー』『栄光のランナー』『ターザン』『青空エール』『イレブン・ミニッツ』などを観ました。劇場の観客数にも一喜一憂している私。
7月と8月はインタビュー取材が2本でした。
『Start Line』の今村彩子監督(写真)、『校庭に東風吹いて』主演の沢口靖子さん、ウェブ特別記事にアップ予定です。
風が涼しくなると映画祭時期です。怒涛の毎日が楽しみなようなコワイような。
posted by shiraishi at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月06日

いしぶみ

今日は8月6日、広島に原爆が投下された日です。夏は辛い思い出が蘇る方々がいらっしゃることでしょう。
戦争が終結して71年。この日なにがあったのか覚えていない、考えることもない人も残念ながらまた多いのでしょう。

先日朗読劇を映画にした『いしぶみ』をご紹介しました。
勤労奉仕をしていて原爆に遭い、亡くなってしまった広島二中の生徒たちの写真を投影し、遺された言葉を綾瀬はるかさんが朗読しています。探しに来た家族に看取られた子、迎えを待ちながら息絶えた子、どこで亡くなったのか遺体さえ見つからなかった生徒たちもたくさんいます。
育ちざかりなのに食糧は乏しく、勉強したくても本も授業もない時代です。夏休みもなく畑を作ったり片付け作業をしたりしていた子どもたちにも、夢や希望があったはずです。でもそんな未来は一瞬にしてなくなってしまいました。この子たちに何があったのか、どんなに恐ろしい悲しい思いをしたのか、そのカケラでも知ってほしいと思います。日本も核武装をとか、国を守る人を育てようとか言ってる政治家こそ一番に。

札幌・シアターキノ、東京・ポレポレ東中野、広島・八丁座で公開中です。
映画を観ることができない方は、広島テレビ放送の草稿を元に書籍化したこちらの本をお勧めします。
朗読では紹介できなかった子どもたちもわかっただけ全て書かれ、ゆくえがついにつかめなかった子の写真も数多く並んでいます。
「いしぶみ: 広島二中一年生全滅の記録」が昨年夏にポプラ社から新装版で発行されています(ISBN-13: 978-4591146040)。
posted by shiraishi at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする