2022年11月06日

『土を喰らう十二ヵ月』を観て(暁)

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2022年11月11日(金)より、新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座他で全国公開される『土を喰らう十二ヵ月』(中江裕司監督)。原案は水上勉の料理エッセイ。軽井沢の山荘にこもり、約一年、畑を作り、それを使って子供の頃に禅寺で身につけた料理を作り、その様子を執筆するという生活をしていたそうです。そのエッセイから着想を得て、中江裕司監督が独自に「四季の恵みに感謝し、十二ヵ月を生きる」というテーマで創作した作品です。
本作の料理監修を担当したのは、映像作品での料理監修が初となる料理研究家の土井善晴。主演のツトム役は沢田研二、共演に松たか子、火野正平、檀ふみ、尾美としのり、西田尚美、瀧川鯉八、奈良岡朋子など、各方面で活躍する多彩なキャストが集結しています。

*シネマジャーナル 作品紹介 『土を喰らう十二ヵ月』
*『土を喰らう十二ヵ月』公式サイト

中江裕司監督の新作だし、ジュリーが主演だし、料理は土井善晴さんが監修。原案が水上勉で撮影地は長野県(信州)となっていたので気になり、早めに試写に行こうと思っていたのですが、試写は7月に始まったのに、行けたのは10/14(金)の最終でした。撮影地信州ということは、水上勉さんの息子の窪島誠一郎さんが作った信濃デッサン館(現・KAITA EPITAPH 残照館)がある上田市あたりかなと勝手に思っていました。でも映画を観たら、ロケ地はなんと私が延べ5年(1981〜86)住み、第二の故郷と思っている白馬村周辺でした。
1970年に初めてスキーに行ったのが白馬村の隣にある小谷(おたり)村の栂池スキー場。初めて北アルプス(燕岳〜槍ヶ岳)に登ったのは1971年。その時のガイドさんが白馬村の方でした。それが縁で白馬三山に登ったのが1972年。山やスキーにハマり、1970〜1980年の約10年で60回以上は信州のあちこちに行きました。その中でも好きだったのは大糸線沿線の北アルプス後立山連峰山麓の安曇野や白馬周辺。あげくの果てに鹿島槍ヶ岳という山の写真を撮るという大義名分で、鹿島槍高原や白馬村で働きながら写真を撮ることになりました。その頃、この映画の撮影地のあたりをいつもうろうろしていたので、見覚えある景色がたくさん出てきて懐かしく、映画の内容と相まって、観ていてドキドキしました。そして、この映画をもっと前に観にいけば良かったと後悔。中国映画週間、東京国際、東京フィルメックスと映画祭続きで、なかなか書く時間を取れず、これを書くのが公開ぎりぎりになってしまいました。

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作家のツトムは信州の山荘に暮らし、山菜や、木の実、きのこを採ったり、畑で育てた野菜を自ら料理し、季節の移ろいを感じながら原稿に向き合う日々を送っています。時折、編集者で恋人の真知子(松たか子)が、東京から訪ねてきます。ツトムは季節のものを料理して、食いしん坊の真知子と一緒に食べます。その採集から、料理を作り、食べるという過程までが繰り返し出てきます。料理方法もたくさん紹介され、料理映画としてもとても興味深く観ました。悠々自適に暮らしているツトムだけど、13年前に亡くした妻の遺骨を墓に納められずにいます…。

冒頭、真知子が車でツトムが住む山荘に向かうシーンで、長野から白馬に向かう車が通った道は、長野オリンピックの時にできた快適な幅広のオリンピック道路ではなく、鬼無里村経由の国道406号かと思います。山道が続き、トンネルを抜け、遠くが見渡せるところがでてきたのでそうかなと思いました。そのトンネルを抜けたところは白馬村の白沢峠。そこからは八方尾根を真ん中に北アルプス・後立山連峰の山々を見ることができます。左から鹿島槍ヶ岳、五竜岳(遠見尾根)、唐松岳(八方尾根)、白馬三山のうちの白馬鑓ヶ岳と杓子岳までが見えるのです(白馬岳が見えないのは残念ですが)。

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白沢峠からの後立山連峰 撮影 宮崎暁美

初めてこの景色を見た時には感動しました。この景色が見たくて、ここには50回以上は通いました。1970年代には車も持っていないし、バスの便もないので、鬼無里村から白馬村まで歩いてこの峠を目指したこともありました。鬼無里から車で約1時間くらいですが、撮影をしながらというのもあり、歩きでは1日かかりました。夕方、白馬駅行のバス停がある白馬村峰方に着いた時に、地元の方に「どこから来ただ?」と聞かれ、「鬼無里から歩いてきました」と言ったら「そんな人はまずいない」とあきれられました(笑)。鬼無里が好きで随分通ったし、早春のこの406号の山道を歩いてみたかったのと、このトンネルを抜けた白沢峠からの景色が見たいがために歩いたのです。そのくらい素晴らしい景色を見ることができる場所なのです。映画の中ではトンネルを出たあと白沢峠から雪景色の北アルプス後立山連峰の山々が見えるのですが、一瞬で通りすぎてしまったのが残念。でも、このマニアックとも言える道を通って白馬に抜けるという設定に期待ワクワク。ちなみにここは白馬駅からは車で20分くらい。皆さんも機会があったらぜひ行ってみてください。特に山麓が紅葉で山々が雪をかぶった10月末くらいが素晴らしい。
そして車はツトムの山荘に向かうのですが、行先はどこなんだろうと思ったら野平の棚田っぽい光景が見えたのと、白馬三山がバックに見えました。あとで宣伝の方に聞いたら、野平のさらに奥の菅(菅入)という廃村で撮影したとおっしゃっていたので、野平からさらに奥に登って行ったところに菅入という集落があったのを思い出しました。行ったのは35年以上前。その時も廃村だったかどうかは忘れてしまいました。でもあのかやぶき屋根の家はそこで撮影したのですね。下の写真では曇っていて見えませんが、映画の中ではこのアングルからだと屋根の右上に白馬岳が見えました。

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ツトムさんの山荘の窓からのシーンがよく出てきましたが、そこからは北アルプス北部の白馬乗鞍岳や朝日岳の方面が見えました。よく見たら栂池スキー場もわかるかもしれません。おそらく下の写真の中央右寄りの山の斜面に2本の白っぽいスジが見えるのが栂池スキー場の上部に登っていくリフトのラインではないかと思います。その上部が蓮華の大斜面(写真中央右寄りの平らな部分の斜面)。春にはそこの脇を登って稜線に出て、そこから反対側の斜面を下って蓮華温泉への山岳スキーを楽しんでいました。6年くらい通ったかも。蓮華のこの大斜面もスキーの醍醐味を楽しめる斜面でした。山を右側に下りたところは日本海の親不知(おやしらず)です。

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そして妻の遺灰を撒くシーンを撮ったのは雨飾山山麓、新潟県側にあるしろ池とのこと。バックに見える山は雨飾山です。雨飾山には長野県小谷温泉側から登ったことがあります。また秋には、山ぶどうや、アケビ、やまなしなどの木の実を採取するため、この道へ毎年通い、小谷温泉上部の鎌池あたりまで行き、山の中に入って、そういう木の実を採取するのが楽しみでした。やまなしは割るとキウイフルーツのような断面を持つ木の実ですが果実酒にしました。

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そして、土井善晴さん監修の料理の数々。最初に感心したのは里芋の料理。里芋は皮を剥く時に包丁で剥くと手がかゆくなるけど、ここで出てきたのは、里芋と水を入れた容器に木製のスコップのような道具を入れかき回すことで、里芋どうしがこすれ、周りの皮がむけ薄皮が残りました。こんな風にすれば、手がかゆくなくていいと思いました。さらにその薄皮がついたまま火にあぶって食べるという方法が披露され、私もこのようにして食べてみたいと思いました。

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里芋を薄皮がついたままあぶる

畑もちゃんとスタッフさんが育てていたのでしょう。きゅうりや茄子、ピーマンやほうれん草もあり、それを沢田研二さんが収穫するシーンもありました。ほうれん草のシーンでは、ツトムがお寺での修行時代、ほうれん草の根を洗うのがめんどくさくて切ってしまったら、和尚さんに「そこがおいしいのに」と言われたというエピソードも出てきました。私も、ほうれん草に限らず芹の根でもいわれ、今ではそれらの根をおいしく食べています。

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茗荷のおにぎり

山菜を採るシーンでは、タラの芽を採ったり、ウドも。そしてコゴミやワラビも出てきました。ほんとはこれらの山菜は同じ時期に採れないんだけど、それは良しとしましょう(笑)。私はタラの芽は天ぷらが一番おいしいと思っているのだけど、ここではアルミホイルに包んで焚火で焼き、味噌をつけて食べるというのが出て来て、こんな調理方法があることを知り、来年は私もためしてみようと思いました。茗荷をおにぎりに入れていたのもおいしそうで、絶対やってみたいと思いました。次々に思いもかけない料理方法が出てきて、さすが土井善晴さんです。山を登って筍を採るシーンもあり、筍料理もよだれが出そうでした。

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亡くなった妻のお義母さんの家を訪ねるシーンがあったけど、その場所は信濃森上の岩岳の麓。右側には岩岳スキー場の斜面が見えました。早春の山里で、雪の残る白馬三山も岩岳山のバックに映し出されました。この岩岳山も何十回も行きましたが、山頂からの白馬三山の眺めが素晴らしいのです。私が白馬村に住んでいたのは35年以上前。その頃は岩岳山頂は冬のスキーシーズンはリフトに乗っていけましたが、他のシーズンはリフトが動いていないので登れず、北アルプス側にあるペンション村のほうから上の方を目指しましたが、山頂までは行けませんでした。今、ここは「白馬岩岳マウンテンリゾート」になり、4月から11月はゴンドラリフト「ノア」で山頂まで行けます。私はまだこのゴンドラリフトに乗ったことはないので、いつか行ってみたい。

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お義母さんが住んでいた家


そのお義母さんが亡くなったシーンで作った精進料理の数々。胡麻豆腐を作るところなんか圧巻でした。胡麻豆腐ってこんな風に作るんだと思いました。
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胡麻豆腐用の胡麻を擂る


そして何よりもおいしそうだったのはお釜で炊いたご飯。一人暮らしなのにこんなに炊くの?と思いましたが、おこげがおいしそうでした。

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ジュリーが料理をする手つきを観て、料理を作り慣れていると思いましたが、土井善晴さんがゲストのラジオ番組で「沢田研二さんは料理を作り慣れていますね。包丁も自分のを持ってきました」と言っていた。

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料理の手ほどきをする土井善晴さん

ここまで書いて来たらお腹がすきました。まだまだ映画祭のまとめや、来週始まる作品のオンラインも観ていない状態なので、手の込んだ料理を作っている場合でないけれど、この映画を観たら、出てきた料理を作ってみたくなりました。40年くらい前には、私も山菜やキノコ、木の実など自然のものを採って食材にした生活をしていましたが、この映画を観て、またそんな生活ができたらいいなあと思いました。

『土を喰らう十二ヵ月』
出演:沢田研二/松たか子/西田尚美/尾美としのり/瀧川鯉八/檀ふみ/火野正平/奈良岡朋子
監督・脚本:中江裕司  
原案:水上勉
『土を喰う日々 ―わが精進十二ヵ月―』(新潮文庫刊) 
『土を喰ふ日々 わが精進十二ヶ月』(文化出版局刊)
料理:土井善晴  音楽:大友良英 
製作:『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会
配給:日活 制作:オフィス・シロウズ
写真クレジット (c)2022『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会

*参照記事 シネマジャーナルHP スタッフ日記
タラの芽の天ぷらを食べに信州に行ったのに信州にはなくて、銀座にあった! はこちら (画像足しました)

*なお、同じようにスローライフを扱った『雨の詩』(『祖谷物語-おくのひと-』蔦哲一朗監督の最新作)という作品も11月12日(土)〜ポレポレ東中野(東京)、11月26日(土) 〜シネ・ヌーヴォ(大阪)で公開されます。こちらは徳島県美馬市が舞台で、電気水道なしの自然エネルギーによって自給自足の生活に挑んでいる二人の男が主人公で、やはり野菜を自分で作ったり、川や草原で食べ物を採取し、料理して食べるということが描かれています。

シネマジャーナル 作品紹介ページ 『雨の詩』 
『雨の詩』公式HP
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2022年06月26日

『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』をめぐって(暁)

今、公開されている『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』(2022年6月4日公開、7月29日まで)は、岩波ホールで上映される最後の作品。
私は小学生の頃から探検記や冒険小説、20世紀の新発見など未知の世界を知ることが好きで、小学校高学年頃には「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」、アマゾン河をめぐる探検記や冒険旅行などを多く読み、アマゾン河に行ってみたいと思っていた。中学生の時にはジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」や、ダーウインの「ビーグル号航海記」などを読んだのをきっかけに、いつか世界一周をしてみたいと思った。そんなことから、大人になってからは旅行や登山、山スキーなどに出かけるようになった。
1970年に就職した夏、北アルプス燕岳〜槍ヶ岳の「表銀座コース」という登山コースで北アルプスに行った私は、すっかり山登りが好きになり、それから北アルプスや、八ヶ岳、尾瀬、南アルプス、中央アルプス、月山や、鳥海山など東北の山々にも登った。でも私の登山は、山登りそのものが好きというのではなく、高山植物や山で見る景色、下界では見ることがないブロッケン現象など、山の自然の不思議さに興味を持った。そんなこともあり、この『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』はとても興味深い作品で、まさに私自身が興味をもった足跡をたどる旅でもあった。
でもどうして、この作品を観るまで「ブルース・チャトウィン」の名前を知らなかったのだろう。彼が「パタゴニア」で作家デビューしたのが1978年ということで、まさに私が山にかなりハマっていた頃だし、南米にも興味を持っていたのに、彼の名前に見覚えはない。もしかしたら、名前は覚えていなくても、図書館や本屋で本を手に取っていたのかもしれない。世界のあちこちを放浪して本を書くという、私もそんな風にして生きてみたかった。
そんな私が、ピースボートの世界一周の旅に出たのが2018年12月。アフリカと南米に行ってみたかったので、シンガポール→インド洋→アフリカ→南米→太平洋→日本という南まわりのコースにした。この映画の冒頭に出てきた「パタゴニア氷河」にも行った。2月というのは南半球では夏だったのにとても寒く雪も降ったりした。氷河はいくつもあったけど船から見る氷河だったので、ドローンで撮った氷河の上空からの映像は、これまで見たことがないような表情を見せてくれた。
2019年2月20日にアルゼンチンのティエラ・デル・フエゴ島にある人口約7万人の都市ウシュアイアに着いた時は、ここが南極に一番近い都市だったのに、この映画では南極に一番近い都市はアルゼンチンのナバリノ島のプエルト・ウィリアムズが最南端と出てきて、「え!そうなの?」と思い、調べてみたら、2019年3月にナバリノ島のプエルト・ウィリアムズが市になり、ここが最南端の都市になったとのこと。私がウシュアイアに行ってから、1か月もたたないうちに「南極に一番近い都市」は変わっていたということですね(笑)。この記事を書くにあたってネットを調べていたら下記記事をみつけた。この中に「2019年3月プエルト・ウィリアムズが市になり、ウシュアイアに変わり、ここが南極に一番近い最南端の都市になった」とあった。
*死ぬまでに一度は訪れたい、ブルース・チャトウィンも愛したパタゴニア

ウシュアイアでは蒸した蟹を食べに街に行ったけど、4人で食べた大きな蟹のおいしさが忘れられない。そういえばその蟹の写真は撮ってこなかった。残念.。また、ウシュアイアの港からは様々なクルーズ船ツアーが出ていて、ダーウインがビーグル号で通ったという「ビーグル水道」にも行くことができた。いろいろな島があり、オタリアやマゼランペンギン、ウミウのコロニーなどを見ることができた。そして「エクレルール灯台」というのを見たけど、この灯台、ウオン・カーワイ監督の『ブエノスアイレス』に登場した灯台だったというのも、この記事で知った。
ウシュアイアの博物館に行った時、この地に暮らしていたヤーガン族の写真を見たけど、この映画でもヤーガン族のことが出てきて、やはりプエルト・ウィリアムズにも博物館があることを知った。ヤーガン族はこの極寒の地に住んでいたにも関わらずら裸族で、毛皮をまとっていただけとのことだったけど、よく生き延びてきたなと思った。日本人と同じようにモンゴロイドに起源をもつ民族だったらしい。
ここからマゼラン海峡を経て、パタゴニアにたどり着くのだけど、ブルース・チャトウィンが訪ねたトレス・デル・パイネ国立公園にある3102mの岩峰セロ・トーレが見えるところをヘルツォーク監督も訪ねている。私もこの岩峰が見えるところまで行ってみたかった。このセロ・トーレへ挑戦した登山家を描いた作品が『クライマー パタゴニアの彼方へ』で、ここに挑んだ若きクライマーデビッド・ラマにインタビューした記事がシネジャHPにある。ここは世界中の登山家が憧れる岩峰である。
*『クライマー パタゴニアの彼方へ』デビッド・ラマインタビュー

チャトウィンはオーストラリアの原住民アボリジニの神話に魅せられ中央オーストラリアを訪ね「ソングライン」を書きあげたが、私が初めて行った外国がオーストラリアで(1990年)、ここでアボリジニの人たちが「ディジュリドゥ」という尺八を大きくしたような楽器(150pくらい)を吹いているのを見て、思わず買って帰りたいと思ったのでした(笑)。ズン・ズン・ズンとまるで地響きのような音を鳴らすような楽器でしたが、耳に響きました。そんな経験があったので、この「ソングライン」という考え方にも興味を持ったのですが、チャトウィンが調査をしたということを知る前に、『大海原のソングライン』(2019)という作品が2020年に公開され、太平洋を結ぶこのアボリジニの壮大な「ソングライン」のことを知りました。
それにしても、この映画でブルース・チャトウィンのことを知り、私もこんな人生送りたかったなと思ったりしました。今やヨタヨタ歩くような身になってしまったので、もう冒険はできないけど、これからもいろいろなところに出かけて、素晴らしい景色や経験をしたいな。
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2022年05月16日

『インフル病みのペトロフ家』、ロシア映画だからと敬遠しないで! (咲)

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c 2020 – HYPE FILM – KINOPRIME - LOGICAL PICTURES – CHARADES PRODUCTIONS – RAZOR FILM – BORD CADRE FILMS – ARTE FRANCE CINEMA -ZDF

ロシアの過去と現在を刺激的に描く映画『インフル病みのペトロフ家』(キリル・セレブレンニコフ監督/ロシア=フランス=スイス=ドイツ合作)の4月23日(土)からの公開を記念し、5月15日(日)17:30より、無料オンラインレクチャーが開催されました。

 <ロシア・ウクライナ・ベラルーシ映画の知られざる世界 ―今こそ知りたい現状と今後―> と題して、2時間の予定をさらに30分延長して、2時間半にわたり、筑波大学の梶山祐治さんから、3か国の映画事情につて詳しい解説が行われました。

レクチャーの内容の詳細は、後日お届けしますが、気になったのが、冒頭、MCの武井みゆきさん(ムヴィオラ代表)より、『インフル病みのペトロフ家』が、ロシアの映画ということからか入りが悪く、5月27日でイメージフォーラムでの上映の打ち切りが決まったと報告があったことです。
本日のレクチャー参加予定者の方からも、「ロシア映画を観るのが心情的につらいものがありますが、どう折り合いをつけますか?」という質問が寄せられているとのことでした。

このことを聞いて思い出したのが、2月のジョージア映画祭で、『インタビュアー』(1977年、ラナ・ゴゴベリゼ監督)を観たときに、ジョージア映画祭主宰のはらだたけひでさんより伺ったお話です。
『インタビュアー』を岩波ホールで1983年に公開したときに、大韓航空機がソ連の領空を侵犯したとして追撃されるという「大韓航空機撃墜事件」が起こり、当時はソ連だったグルジアの映画ということで、観客からそっぽを向かれたというのです。

私自身は、政治と文化は別という意識があるので、心情的にそういう状況になってしまうのは悲しいことだなぁ〜と。 
『インフル病みのペトロフ家』についていえば、セレブレンニコフ監督は、かねてよりロシアのジョージア侵攻やクリミア併合、LGBTへの抑圧を批判するなど、政権に批判的で、今はロシアを出てドイツにいるのです。さらに、監督のお母さまはウクライナ人!
ロシア映画だからと敬遠せずに、劇場に足を運んでいただければと願います。

『インフル病みのペトロフ家』シネジャ作品紹介




posted by sakiko at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月03日

授賞式シーズン

訃報が続いて寂しかったこのごろ、アカデミー賞では濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞受賞。国内ではシネジャで取材させていただいた『海辺の彼女たち』藤元明緒監督が、新藤兼人賞の金賞(小島央大監督は銀賞)、大島渚賞(記念上映会は今日4/3でした)、日本映画批評家大賞では阪元裕吾監督と一緒に新人監督賞と受賞続きです。春本雄二郎監督は各地の映画祭で、俳優さんたちも受賞多し。

ちょっとでも関わった方にいいことがあると嬉しいし、逆に残念だった方もいます。ああ。
石川梵監督は前作『世界でいちばん美しい村』(2017)で取材した後、監督の愛犬十兵衛君の似顔(写真を見て描いた)をさしあげたら、十兵衛君と並べて撮影してfacebookにアップしてくれました。いつか会えたらいいなぁと思っていたのですが、つい先日ガンのため15歳の誕生日の翌日虹の橋を渡りました(泣)。誕生日まで頑張ろうな、と言う監督に約束を果たして静かに逝ったそうです。

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日本映画批評家大賞ドキュメンタリー枠で石川監督の『くじらびと』が受賞。ちょっとでも気持ちが上がったかな。十兵衛君と一緒の映像がいつか発表されるのを楽しみに待っています。(白)
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2022年01月30日

『英雄本色』 ニコパパと古き香港にうっとり (咲)

1月26日(水)1時から京橋で『親愛なる同志たちへ』の試写。その後、3時半から新橋のTCCでの試写があったのですが、コロナの感染が拡大していて地下の狭い試写室で、しかも135分の長尺の映画なのが気になって、何かほかにないかな・・・と検索。京橋の国立映画アーカイブで 「香港映画発展史探訪」の特集をやっているのをすっかり忘れていて、26日は3時から『英雄本色』とわかりました。これって『男たちの挽歌』・・・・それなら何度も観ているしなぁ〜と思ったら、1967年の『英雄本色』なのでした。主演がニコパパこと謝賢で、私にとっては伝説の映画なのですが、観たことがありませんでした。
『親愛なる同志たちへ』は、104分なので、ちょうどよかった!と、ネットでチケットを購入。
国立映画アーカイブで今は窓口でチケットを販売していないのです。発券もしていません。
セブン-イレブンの店頭のマルチコピー機でも購入できますが、座席を選べません。
チケットぴあで購入の場合は自分で指定席を選べて、運よく、通路際の好みの席が1席だけ空いていました。セブン-イレブンかファミマ、どちらで発券するかを選んで手続き終了。当日、1時からの試写の前にファミマで発券して準備完了。

ところが、『親愛なる同志たちへ』の試写が始まるときに、宣伝の方が、「試写状に記載していた尺に誤りがありまして、104分でなく121分です」と言われたのです。え〜っ? 終わるのは3時1分! 国立映画アーカイブは、1分でも過ぎると入れてくれないのです。
もうこれは仕方ない。時間を見計らって退出するしかありません。上映中にスマホで時間を見るのは憚れますが、端っこの席なので許してもらおう! 

『親愛なる同志たちへ』
2,020年、ロシア、監督:アンドレイ・コンチャロフスキー

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(C)Films Boutique

1962年、ソ連南部の町ノボチェルカッスクでの労働者蜂起を軍が弾圧した顛末を描いた物語。公務員の女性が、デモに参加した娘が行方不明になったのを必死に探すのですが、その行方がわかったところで時間切れ。最後の20分は、後日、視聴リンクをいただいて見届けることにしました。
ノボチェルカッスク事件は、ソ連が崩壊するまで隠蔽されていて、虐殺された市民はKGB発表では26名ですが、正式な人数はもっと多いのではと推察されています。
民衆蜂起を政府が弾圧した事件というと、天安門事件や光州事件が思い浮かびますが、世界の各地で起こってきたこと。60年前の出来事ですが、決して過去のことではありません。
この映画については、またゆっくり語りたいと思います。

後ろ髪を引かれながら、3時ちょっと前に国立映画アーカイブに到着。
平日の午後ですが、8割位席が埋まっていました。

『英雄本色』(1967年)
監督・脚本・出演:龍剛(ロン・コン)

金庫破りに失敗した4人組。 リーダーの李卓雄(謝賢)は、恋人と相棒を逃がし、撃たれて逃げそびれた子分を助けに戻って逮捕され服役。出所するとき、刑務所で親しくしていた老人から住所を渡され、自分とはシンガポールで知り合ったといえば、仕事を紹介してくれるはずと言われる。元相棒を訪ねた李は、弟には服役していることは告げず、シンガポールで出稼ぎしていると伝えていたことを知る。刑務所仲間の老人から渡された住所を訪ねると、女性が出てきて、仕事を紹介してくれる。一方、金庫破りでは敏腕の李が出所したことを知って、黒社会のボス独眼竜(石堅)が一味に引き入れようと執拗に追ってくる・・・・

刑務所仲間の老人から紹介された女性は、実は弟の婚約者だったことがわかります。
李は、弟のためにも堅気に暮らそうと、元服役者を支援する協会の手助けも得て、仕事につくのですが、どこにいっても黒社会が追ってきます。
映画は黒社会モノには違いないのですが、監督が元受刑者の更生にも目線を寄せて作ったことが伝わってくる物語でした。

なにより、初めて謝賢の顔が大写しになったとき、あ〜ほんとにニコラス・ツェーのパパだ!と感無量。ニコちゃんが17歳でデビューした頃には、ニコパパは、すでに大御所で貫禄たっぷり。親子と言われても、似てるかな〜という感じでした。
ニコラスの最新作『レイジング・ファイア』では、ニコラスも年を重ねたこともあって、『英雄本色』の謝賢は、ニコラスがほんとに彼の息子であることを実感させてくれました。

そして、本作の魅力は、1960年代後半の香港の街を見れたこと。
まず映し出された香港の夜景。モノクロなので、しっとりとした風情。まだあまり高層ビルもありませんでした。私が初めて香港を訪れたのは、1979年3月。私が勤めていた商社の香港会社が入るという湾仔の64階建ての円形のホープウェルセンターもまだ建設中でした。1980年に完成し、当時、香港で一番高いビルでしたが、今や、ビルの谷間にあるという感じです。
李が入っていた刑務所は、赤柱(スタンレー)。 モスクがあるというので行ったことがあるのですが、モスクは遮断器の向こうにあるので行けませんでした。遮断器の向こうに刑務所があると知ったのはその時のことでした。海辺の素敵なところです。
李が出所して訪ねた元相棒の住む貧民窟は、観塘(クントン)。 海辺にバラックの家が広がっていましたが、その後、工業地帯になり、今では再開発が進み、まったく違った街になっています。
香港島の中環から金鐘にかけては、今もある古いビルや、今はなきヒルトンホテルなどが映りました。
何度(70回位?)も通った香港に思いを馳せたひと時でした。


posted by sakiko at 19:37| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする