2023年01月22日

映画『柳川』 アジアフォーカスを懐かしく思い出す (咲)

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名古屋のミッキーさんが毎日・映画三昧で紹介していて気になっていたチャン・リュル監督の映画『柳川』。
1月19日にやっと観てきました。
この日、1時から『バビロン』の試写があったのですが、長い映画なので、終わるのが4時過ぎ。時間的に観られる映画は・・・と検索して、17:05から新宿武蔵野館であるのがわかった次第。

北京で暮らす中年の独身男ドン。末期癌を宣告され、長年疎遠になっていた兄・チュンを旅に誘う。行先は日本の柳川。兄の恋人で、ドンも密かに愛していた女性の名前が実は「柳川(北京語読みでリウ・チュアン)」。彼女はある日突然二人の前から消えた。今は柳川で暮らしているとわかり、ドンは兄を誘って訪ねていく・・・
物語のさらに詳細はミッキーさんの記事:郷愁さそう町の風情が主役 12月30日公開『柳川』で、どうぞ!


柳川を始めて訪れたのは、大学3年が終わった春休み。高校を卒業した妹を誘って、九州一周の旅をした折のことでした。柳川に程近い瀬高にあったルノワルユースホステルに泊まった翌日に訪ねました。貧乏旅行で、川下りは諦め、掘割を優雅にゆく船を川沿いから眺めたものです。柳川藩主立花邸 御花は見学しましたが、柳川名物のせいろ蒸しのうなぎは、少し安いお店でいただいた記憶があります。
その後、20代の時にあと2回柳川を訪れ、川下りも楽しみました。
それから30年ちょっと経って再訪したのが、2007年のアジアフォーカス福岡国際映画祭に行った時のことでした。
(スタッフ日記2007年9月第3週に書いていて、行った年が判明しました!)
その日記には、下記のように書いていました。

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福岡滞在の最終日の午後、映画はお休みにして、柳川に行って来ました。西鉄の「太宰府・柳川観光きっぷ」は、往復乗車券、川くだりにお土産もついたお得な切符。(さらに、かんぽの宿のお風呂に入れる「湯ったり柳川きっぷ」もあります。)これなら人が集まらなくても確実に川くだりができるという次第。
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で、船着場まで案内されたのは、私一人。40分待たされましたが、結局、貸切状態で川くだり! 若い船頭さんに「柳川には30年ぶり」と言ったら、「生まれる前ですねぇ」と言われてしまいました。
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翌年のアジアフォーカスでマジド・マジディ監督にお会いした時に、翌日一日オフとのことで、柳川をお薦め。お天気も良くて、川下りと温泉を楽しんできたと嬉しそうにご報告くださったのを思い出します。

チャン・リュル監督の『慶州』(公開タイトル:『慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ』)や『福岡』のメーキングはアジアフォーカスで観ています。
『慶州』が2014年のアジアフォーカスで上映された時には、チャン・リュル監督と主演のパク・ヘイルさんが来日。ゲストルームで、ほかの作品の監督インタビューで待機していた時に、パク・ヘイルさんがいらして、座るなり、コンビニで買ってきたとおぼしきパンを召し上がれました。すごく自然体で好感を持ったのを思い出します。
これはたまたまゲストルームでしたが、アジアフォーカスは上映後のトークの後にサイン会があったり、町で歩いている映画人と会えたりと、とても楽しい映画祭でした。
アジアフォーカスで訪れたついでに九州のあちこちを訪ねたのも懐かしい思い出です。

さて、映画『柳川』。
柳川に旅立つ前には、北京の古い町並みも出てきました。まだかろうじて残っているところがあるのですね・・・
到着した西鉄柳川駅は、すっかり立派な駅舎になっていました。でも、水郷の町・柳川の風情は健在。そこで解き明かされていくリウ・チュアンが北京を突然離れた理由・・・
ロンドンで出会った柳川が故郷だという日本人男性を池松壮亮さんが演じているのですが、彼との関係もちょっと謎に包まれています。
人は余命を知った時、何をしたいか・・・ということも考えさせられました。

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2022年12月25日

今年400本目は未来チケットで『子猫をお願い』 (咲)

メリークリスマス!
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我が家のプチクリスマスです♪

いろいろあった2022年も、あと1週間になりました。
映画が寂しさを紛らわせてくれた年になりました。
試写は、オンラインと試写室の両方を選べるものがほとんどで、オンラインがあるから・・・と油断しているうちに、公開が始まってしまうことも。
せっかく試写のご案内をいただいたのに、ずいぶん見逃して紹介しそこねてしまいました。
そんな中、12月23日に400本目達成!
晴ある400本目は、『子猫をお願い4K リマスター版』。
12月23日から公開が始まった『猫たちのアパートメント』のチョン・ジェウン監督の2001年の作品です。
ソウル郊外仁川(インチョン)の商業高校の同級生の女の子5人が、卒業して、それぞれの道を歩み始める物語。ペ・ドゥナやイ・ヨウォンが、20歳そこそこの役。(当時ほぼ実年齢!) ペ・ドゥナは、案外、変わっていません。『吠える犬は噛まない』(2000年)は、来日したペ・ドゥナに会っているので、はっきり覚えているのですが、『子猫をお願い』は観たのかどうか・・・の記憶。
折り畳み式の携帯や、大きなデスクトップ型パソコンが時代を感じさせてくれました。
仁川空港が、ちょうどできたばかりの頃。まだ仁川の町には、目立つ高いビルもありませんでした。
仁川といえば、韓国最大のチャイナタウンのあるところ。ペ・ドゥナ演じるテヒの仲良しの同級生の双子ピリュとオンジョのお母さんは中国人。母方の祖父母は中国語で会話しています。そして、テヒの母親を演じているキム・ファヨンは、ペ・ドゥナの実母! 母娘共演です。 

さて、子猫。オク・チヨン演じる絵が上手だけど、家が貧しくて専門的に勉強することも叶わないジヨンが迷い猫を拾ってティティと名付けます。証券会社に入社した美人のヘジュの誕生日祝いに、自分で絵を描いた箱にティティを入れてプレゼントするのですが・・・ 
子猫がその後、誰の手にお願いされるのか・・・  若い女性たちが、未来を切り開いていく姿と共に、可愛い子猫の運命が描かれた映画でした。

この映画、渋谷のユーロスペースで観たのですが、ミニシアター・エイドのリターンでいただいた未来チケット10枚の最後の1枚を使わせていただきました。2022年内有効で、やっと使えたのですが、心に残る良い映画を観ることができました。

コロナがはびこってきた中で、客足の落ちたミニシアターを救おうと行われたミニシアターエイド。
正式名称は、『未来へつなごう!!多様な映画文化を育んできた全国のミニシアターをみんなで応援 ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金』
2020年4月13日(月)にスタートして、わずか3日で1億円達成したのでした。
あれから、2年8か月が経ちましたが、コロナはいまだに収束しません。岩波ホールが閉館するという悲しい出来事もありました。 今のところ、ほかのミニシアターは、なんとか頑張ってくださっていますが、これから先、どうなることかわかりません。
これからも素敵な映画をスクリーンで見せていただくために、出来るだけ、映画館に足を運んで応援したいと思います。


『子猫をお願い4K リマスター版』
公式サイト:https://konekowoonegai4k.com/
2022年12月17日(土)よりユーロスペース他にて全国順次ロードショー

『猫たちのアパートメント』
2022年/韓国/韓国語/88分
配給:パンドラ
公式サイト:http://www.pan-dora.co.jp/catsapartment/
★2022年12月23日(金) 渋谷・ユーロスペース、ヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショー、全国順次公開.
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2022年11月06日

ディープな『土を喰らう十二ヵ月』案内(暁)

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2022年11月11日(金)より、新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座他で全国公開される『土を喰らう十二ヵ月』(中江裕司監督)。原案は水上勉の料理エッセイ。軽井沢の山荘にこもり、約一年、畑を作り、それを使って子供の頃に禅寺で身につけた料理を作り、その様子を執筆するという生活をしていたそうです。そのエッセイから着想を得て、中江裕司監督が独自に「四季の恵みに感謝し、十二ヵ月を生きる」というテーマで創作した作品です。
本作の料理監修を担当したのは、映像作品での料理監修が初となる料理研究家の土井善晴。主演のツトム役は沢田研二、共演に松たか子、火野正平、檀ふみ、尾美としのり、西田尚美、瀧川鯉八、奈良岡朋子など、各方面で活躍する多彩なキャストが集結しています。

*シネマジャーナル 作品紹介 『土を喰らう十二ヵ月』
*『土を喰らう十二ヵ月』公式サイト

中江裕司監督の新作だし、ジュリーが主演だし、料理は土井善晴さんが監修。原案が水上勉で撮影地は長野県(信州)となっていたので気になり、早めに試写に行こうと思っていたのですが、試写は7月に始まったのに、行けたのは10/14(金)の最終でした。撮影地信州ということは、水上勉さんの息子の窪島誠一郎さんが作った信濃デッサン館(現・KAITA EPITAPH 残照館)がある上田市あたりかなと勝手に思っていました。でも映画を観たら、ロケ地はなんと私が延べ5年(1981〜86)住み、第二の故郷と思っている白馬村周辺でした。
1970年に初めて大糸線沿線にスキーに行ったのが白馬村の隣にある小谷(おたり)村の栂池スキー場。初めて北アルプス(燕岳〜槍ヶ岳)に登ったのは1971年。その時のガイドさんが白馬村の方でした。それが縁で白馬三山に登ったのが1972年。山やスキーにハマり、1970〜1980年の約10年で60回以上は信州のあちこちに行きました。その中でも好きだったのは大糸線沿線の北アルプス後立山連峰山麓の安曇野や白馬周辺。あげくの果てに鹿島槍ヶ岳という山の写真を撮るという大義名分で、鹿島槍高原や白馬村で働きながら写真を撮ることになりました。その頃、この映画の撮影地のあたりをいつもうろうろしていたので、見覚えある景色がたくさん出てきて懐かしく、映画の内容と相まって、観ていてワクワクドキドキしました。そして、この映画をもっと前に観にいけば良かったと後悔。中国映画週間、東京国際、東京フィルメックスと映画祭続きで、なかなか書く時間を取れず、これを書くのが公開ぎりぎりになってしまいました。

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作家のツトムは信州の山荘に暮らし、山菜や、木の実、きのこを採ったり、畑で育てた野菜を自ら料理し、季節の移ろいを感じながら原稿に向き合う日々を送っています。時折、編集者で恋人の真知子(松たか子)が、東京から訪ねてきます。ツトムは季節のものを料理して、食いしん坊の真知子と一緒に食べます。その採集から、料理を作り、食べるという過程までが繰り返し出てきます。料理方法もたくさん紹介され、料理映画としてもとても興味深く観ました。悠々自適に暮らしているツトムだけど、13年前に亡くした妻の遺骨を墓に納められずにいます…。

冒頭、真知子が車でツトムが住む山荘に向かうシーンで、長野から白馬に向かう車が通った道は、長野オリンピックの時にできた快適な幅広のオリンピック道路ではなく、鬼無里(きなさ)村経由の国道406号かと思います。山道が続き、トンネルを抜け、遠くが見渡せるところがでてきたのでそうかなと思いました。そのトンネルを抜けたところは白馬村の白沢峠。そこからは八方尾根を真ん中に北アルプス・後立山連峰の山々を見ることができます。左から鹿島槍ヶ岳、五竜岳(遠見尾根)、唐松岳(八方尾根)、白馬三山(白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)のうちの白馬鑓ヶ岳と杓子岳までが見えるのです(主峰の白馬岳が見えないのは残念ですが)。

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白沢峠からの後立山連峰 撮影 宮崎暁美

初めてこの景色を見た時には感動しました。この景色が見たくて、ここには50回以上は通いました。1970年代には車も持っていないし、バスの便もないので、鬼無里村から白馬村まで歩いてこの峠を目指したこともありました。鬼無里から車で約1時間くらいですが、撮影をしながらというのもあり、歩きでは1日かかりました。夕方、白馬駅行のバス停がある白馬村峰方に着いた時に、地元の方に「どこから来ただ?」と聞かれ、「鬼無里から歩いてきました」と言ったら「そんな人はまずいねな」とあきれられました(笑)。鬼無里が好きで随分通ったし、早春のこの406号の山道を歩いてみたかったのと、このトンネルを抜けた白沢峠からの景色が見たいがために歩いたのです。そのくらい素晴らしい景色を見ることができる場所なのです。映画の中ではトンネルを出たあと白沢峠から雪景色の北アルプス後立山連峰の山々が見えるのですが、映画では一瞬で通りすぎてしまったのが残念。でも、このマニアックとも言える道を通って白馬に抜けるという設定に期待ワクワク。ちなみにここは白馬駅からは車で20分くらい。皆さんも機会があったらぜひ行ってみてください。特に山麓が紅葉で山々が雪をかぶった10月末くらいが素晴らしい。
そして車はツトムの山荘に向かうのですが、行先はどこなんだろうと思ったら野平の棚田っぽい光景が見えたのと、白馬三山がバックに見えました。あとで宣伝の方に聞いたら、野平のさらに奥の菅(菅入)という廃村で撮影したとおっしゃっていたので、野平からさらに奥に登って行ったところに菅入という集落があったのを思い出しました。行ったのは35年以上前。その時も廃村だったかどうかは忘れてしまいました。でもあのかやぶき屋根の家はそこで撮影したのですね。下の写真では曇っていて見えませんが、映画の中ではこのアングルからだと屋根の右上に白馬岳が見えました。

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下記の写真、屋根の右奥に見えるのが白馬岳(しろうまだけ)です。

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ツトムさんの山荘の窓からのシーンがよく出てきましたが、そこからは北アルプス北部の白馬乗鞍岳方面が見えました。よく見たら栂池スキー場もわかるかもしれません。おそらく下の写真の中央右寄りの山の斜面に2本の白っぽいスジが見えるのが栂池スキー場の上部に登っていくリフトのラインではないかと思います。その上部が白馬乗鞍岳(中央)。その右側が白馬乗鞍天狗原下の大斜面(写真中央右寄りの平らな部分の斜面)。春にはそこの脇を登って白馬乗鞍岳の稜線に出て天狗原へ。そこから反対側の斜面を下って蓮華温泉への山岳スキーを楽しんでいました。6年くらい通ったかも。東面のこの大斜面もスキーの醍醐味を楽しめる斜面です。山を右側に下りたところは日本海の親不知(おやしらず)。

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そして妻の遺灰を撒くシーンを撮ったのは雨飾山山麓、新潟県側にあるしろ池とのこと。バックに見える山は日本百名山にもなっている雨飾山(あまかざりやま)です。

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雨飾山には長野県小谷温泉側から登ったことがあります。また秋には、山ぶどうや、アケビ、サルナシなどの木の実を採取するため、この道へ毎年通い、小谷温泉上部の鎌池あたりまで行き、山の中に入って、そういう木の実を採取するのが楽しみでした。サルナシはマタタビ科ですが、割るとキウイフルーツのような断面を持つ木の実です。ジャムや果実酒にしました。
この鎌池周辺はとても紅葉が綺麗なのですが、ツトムがキノコを採りに行って、真知子が別れを言うシーンを撮った場所が鎌池周辺だったようです。私自身鎌池あたりに行くのは大体紅葉の頃だったので、いつも紅葉が綺麗だなと思っていたのですが、撮影はこの周辺だったのですね。

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そして、土井善晴さん監修の料理の数々。最初に感心したのは里芋の料理。里芋は皮を剥く時に包丁で剥くと手がかゆくなるけど、ここで出てきたのは、里芋と水を入れた容器に木製のスコップのような道具を入れかき回すことで、里芋どうしがこすれ、周りの皮がむけ薄皮が残りました。こんな風にすれば、手がかゆくなくていいと思いました。さらにその薄皮がついたまま火にあぶって食べるという方法が披露され、私もこのようにして食べてみたいと思いました。

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里芋を薄皮がついたままあぶる

畑もちゃんとスタッフさんが育てていたのでしょう。きゅうりや茄子、ピーマンやほうれん草もあり、それを沢田研二さんが収穫するシーンもありました。ほうれん草のシーンでは、ツトムがお寺での修行時代、ほうれん草の根を洗うのがめんどくさくて切ってしまったら、和尚さんに「そこがおいしいのに」と言われたというエピソードも出てきました。私も、ほうれん草に限らず芹の根でもいわれ、今ではそれらを根ごとおいしく食べています。

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茗荷のおにぎり

山菜を採るシーンでは、タラの芽を採ったり、ウドも。そしてコゴミやワラビも出てきました。ほんとはこれらの山菜は同じ時期に採れないんだけど、それは良しとしましょう(笑)。私はタラの芽は天ぷらが一番おいしいと思っているのだけど、ここではアルミホイルに包んで焚火で焼き、味噌をつけて食べるというのが出て来て、こんな調理方法があることを知り、来年は私もためしてみようと思いました。茗荷をおにぎりに入れていたのもおいしそうで、絶対やってみたいと思いました。次々に思いもかけない料理方法が出てきて、さすが土井善晴さんです。山を登って筍を採るシーンもあり、筍料理もよだれが出そうでした。それに料理を盛った数々の食器も素晴らしいと思いました。

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亡くなった妻のお義母さんの家を訪ねるシーンがあったけど、その場所は信濃森上の岩岳の麓にある新田(しんでん)。右側には岩岳スキー場の斜面が見えました。早春の山里で、雪の残る白馬三山も岩岳山のバックに映されました。この岩岳山も何十回も行きましたが、山頂からの白馬三山の眺めが素晴らしいのです。私が白馬村に住んでいたのは40年位前。その頃は岩岳山頂は冬のスキーシーズンはリフトで上っていけましたが、他のシーズンはリフトが動いていないので登れず、北アルプス側にあるペンションのどんぐり村のほうから上の方を目指しましたが、山頂までは行けませんでした。今、ここは「白馬岩岳マウンテンリゾート」になり、4月から11月はゴンドラリフト「ノア」で山頂まで行けます。私はまだこのゴンドラリフトに乗ったことはないので、いつか行ってみたい。

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お義母さんが住んでいた家。右の山が岩岳山


そのお義母さんが亡くなったシーンで作った精進料理の数々。胡麻豆腐を作るところなんか圧巻でした。胡麻豆腐ってこんな風に作るんだと思いました。葬式では、輪になって長い数珠をお経?をとなえながらまわすシーンがありましたが、これはこの地方の慣わしなのか、興味深かったです。
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胡麻豆腐用の胡麻を擂る


そして何よりもおいしそうだったのはお釜で炊いたご飯。一人暮らしなのにこんなに炊くの?と思いましたが、おこげがおいしそうでした。

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ジュリーが料理を作るときの包丁の使い方とか胡麻をするときのすりこ木を扱う手つきをみて、料理を作り慣れているのかなと思ったけど、土井善晴さんがゲストのラジオ番組で「沢田研二さんは料理を作り慣れていますね。包丁も自分のを持ってきました」と言っていた。

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料理の手ほどきをする土井善晴さん

ここまで書いて来たらお腹がすきました。まだまだ映画祭のまとめや、来週始まる作品のオンラインも観ていない状態なので、手の込んだ料理を作っている場合でないけれど、この映画を観たら、出てきた料理を作ってみたくなりました。40年くらい前には、私も山菜やキノコ、木の実など自然のものを採って食材にした生活をしていましたが、この映画を観て、またそんな生活ができたらいいなあと思いました。

『土を喰らう十二ヵ月』
出演:沢田研二/松たか子/西田尚美/尾美としのり/瀧川鯉八/檀ふみ/火野正平/奈良岡朋子
監督・脚本:中江裕司  
原案:水上勉
『土を喰う日々 ―わが精進十二ヵ月―』(新潮文庫刊) 
『土を喰ふ日々 わが精進十二ヶ月』(文化出版局刊)
料理:土井善晴  音楽:大友良英 
製作:『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会
配給:日活 制作:オフィス・シロウズ
写真クレジット (c)2022『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会

*このツトムさんが暮らす山荘の窓から見える白馬乗鞍天狗原東斜面で、2023年1月29に雪崩が起き外国人二人が亡くなりました。
この事故のことを思いレポートを書きました。
シネマジャーナルHP スタッフ日記
白馬乗鞍の雪崩事故が起きたのは『土を喰らう十二ヵ月』の窓から見えるところでした(暁)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/498240700.html

*参照記事 シネマジャーナルHP スタッフ日記
タラの芽の天ぷらを食べに信州に行ったのに信州にはなくて、銀座にあった! はこちら (画像足しました)

*参考記事 タイミングよく白馬村観光協会から下記の記事が出ました
滑らなくても存分に楽しめるスノーリゾート【長野県・白馬村】5つの「満喫プラン」でこの冬は"白馬"で遊び倒そう
https://bravo-m.futabanet.jp/articles/photo/121787

*なお、同じようにスローライフを扱った『雨の詩』(『祖谷物語-おくのひと-』蔦哲一朗監督の最新作)という作品も11月12日(土)〜ポレポレ東中野(東京)、11月26日(土) 〜シネ・ヌーヴォ(大阪)で公開されます。こちらは徳島県美馬市が舞台で、電気水道なしの自然エネルギーによって自給自足の生活に挑んでいる二人の男が主人公で、やはり野菜を自分で作ったり、川や草原で食べ物を採取し、料理して食べるということが描かれています。

シネマジャーナル 作品紹介ページ 『雨の詩』 
『雨の詩』公式HP
posted by akemi at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月26日

『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』をめぐって(暁)

今、公開されている『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』(2022年6月4日公開、7月29日まで)は、岩波ホールで上映される最後の作品。
私は小学生の頃から探検記や冒険小説、20世紀の新発見など未知の世界を知ることが好きで、小学校高学年頃には「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」、アマゾン河をめぐる探検記や冒険旅行などを多く読み、アマゾン河に行ってみたいと思っていた。中学生の時にはジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」や、ダーウインの「ビーグル号航海記」などを読んだのをきっかけに、いつか世界一周をしてみたいと思った。そんなことから、大人になってからは旅行や登山、山スキーなどに出かけるようになった。
1970年に就職した夏、北アルプス燕岳〜槍ヶ岳の「表銀座コース」という登山コースで北アルプスに行った私は、すっかり山登りが好きになり、それから北アルプスや、八ヶ岳、尾瀬、南アルプス、中央アルプス、月山や、鳥海山など東北の山々にも登った。でも私の登山は、山登りそのものが好きというのではなく、高山植物や山で見る景色、下界では見ることがないブロッケン現象など、山の自然の不思議さに興味を持った。そんなこともあり、この『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』はとても興味深い作品で、まさに私自身が興味をもった足跡をたどる旅でもあった。
でもどうして、この作品を観るまで「ブルース・チャトウィン」の名前を知らなかったのだろう。彼が「パタゴニア」で作家デビューしたのが1978年ということで、まさに私が山にかなりハマっていた頃だし、南米にも興味を持っていたのに、彼の名前に見覚えはない。もしかしたら、名前は覚えていなくても、図書館や本屋で本を手に取っていたのかもしれない。世界のあちこちを放浪して本を書くという、私もそんな風にして生きてみたかった。
そんな私が、ピースボートの世界一周の旅に出たのが2018年12月。アフリカと南米に行ってみたかったので、シンガポール→インド洋→アフリカ→南米→太平洋→日本という南まわりのコースにした。この映画の冒頭に出てきた「パタゴニア氷河」にも行った。2月というのは南半球では夏だったのにとても寒く雪も降ったりした。氷河はいくつもあったけど船から見る氷河だったので、ドローンで撮った氷河の上空からの映像は、これまで見たことがないような表情を見せてくれた。
2019年2月20日にアルゼンチンのティエラ・デル・フエゴ島にある人口約7万人の都市ウシュアイアに着いた時は、ここが南極に一番近い都市だったのに、この映画では南極に一番近い都市はチリのナバリノ島のプエルト・ウィリアムズが最南端と出てきて、「え!そうなの?」と思い、調べてみたら、2019年3月にプエルト・ウィリアムズが市になり、ここが最南端の都市になったとのこと。私がウシュアイアに行ってから、1か月もたたないうちに「南極に一番近い都市」は変わっていたということですね(笑)。この記事を書くにあたってネットを調べていたら下記記事をみつけた。この中に「2019年3月プエルト・ウィリアムズが市になり、ウシュアイアに変わり、ここが南極に一番近い最南端の都市になった」とあった。
*死ぬまでに一度は訪れたい、ブルース・チャトウィンも愛したパタゴニア

ウシュアイアでは蒸した蟹を食べに街に行ったけど、4人で食べた大きな蟹のおいしさが忘れられない。そういえばその蟹の写真は撮ってこなかった。残念.。また、ウシュアイアの港からは様々なクルーズ船ツアーが出ていて、ダーウインがビーグル号で通ったという「ビーグル水道」にも行くことができた。いろいろな島があり、オタリアやマゼランペンギン、ウミウのコロニーなどを見ることができた。そして「エクレルール灯台」というのを見たけど、この灯台、ウオン・カーワイ監督の『ブエノスアイレス』に登場した灯台だったというのも、この記事で知った。
ウシュアイアの博物館に行った時、この地に暮らしていたヤーガン族の写真を見たけど、この映画でもヤーガン族のことが出てきて、やはりプエルト・ウィリアムズにも博物館があることを知った。ヤーガン族はこの極寒の地に住んでいたにも関わらずら裸族で、毛皮をまとっていただけとのことだったけど、よく生き延びてきたなと思った。日本人と同じようにモンゴロイドに起源をもつ民族だったらしい。
ここからマゼラン海峡を経て、パタゴニアにたどり着くのだけど、ブルース・チャトウィンが訪ねたトレス・デル・パイネ国立公園にある3102mの岩峰セロ・トーレが見えるところをヘルツォーク監督も訪ねている。私もこの岩峰が見えるところまで行ってみたかった。このセロ・トーレへ挑戦した登山家を描いた作品が『クライマー パタゴニアの彼方へ』で、ここに挑んだ若きクライマーデビッド・ラマにインタビューした記事がシネジャHPにある。ここは世界中の登山家が憧れる岩峰である。
*『クライマー パタゴニアの彼方へ』デビッド・ラマインタビュー

チャトウィンはオーストラリアの原住民アボリジニの神話に魅せられ中央オーストラリアを訪ね「ソングライン」を書きあげたが、私が初めて行った外国がオーストラリアで(1990年)、ここでアボリジニの人たちが「ディジュリドゥ」という尺八を大きくしたような楽器(150pくらい)を吹いているのを見て、思わず買って帰りたいと思ったのでした(笑)。ズン・ズン・ズンとまるで地響きのような音を鳴らすような楽器でしたが、耳に響きました。そんな経験があったので、この「ソングライン」という考え方にも興味を持ったのですが、チャトウィンが調査をしたということを知る前に、『大海原のソングライン』(2019)という作品が2020年に公開され、太平洋を結ぶこのアボリジニの壮大な「ソングライン」のことを知りました。
それにしても、この映画でブルース・チャトウィンのことを知り、私もこんな人生送りたかったなと思ったりしました。今やヨタヨタ歩くような身になってしまったので、もう冒険はできないけど、これからもいろいろなところに出かけて、素晴らしい景色に出会う経験をしたいな。
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2022年05月16日

『インフル病みのペトロフ家』、ロシア映画だからと敬遠しないで! (咲)

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c 2020 – HYPE FILM – KINOPRIME - LOGICAL PICTURES – CHARADES PRODUCTIONS – RAZOR FILM – BORD CADRE FILMS – ARTE FRANCE CINEMA -ZDF

ロシアの過去と現在を刺激的に描く映画『インフル病みのペトロフ家』(キリル・セレブレンニコフ監督/ロシア=フランス=スイス=ドイツ合作)の4月23日(土)からの公開を記念し、5月15日(日)17:30より、無料オンラインレクチャーが開催されました。

 <ロシア・ウクライナ・ベラルーシ映画の知られざる世界 ―今こそ知りたい現状と今後―> と題して、2時間の予定をさらに30分延長して、2時間半にわたり、筑波大学の梶山祐治さんから、3か国の映画事情につて詳しい解説が行われました。

レクチャーの内容の詳細は、後日お届けしますが、気になったのが、冒頭、MCの武井みゆきさん(ムヴィオラ代表)より、『インフル病みのペトロフ家』が、ロシアの映画ということからか入りが悪く、5月27日でイメージフォーラムでの上映の打ち切りが決まったと報告があったことです。
本日のレクチャー参加予定者の方からも、「ロシア映画を観るのが心情的につらいものがありますが、どう折り合いをつけますか?」という質問が寄せられているとのことでした。

このことを聞いて思い出したのが、2月のジョージア映画祭で、『インタビュアー』(1977年、ラナ・ゴゴベリゼ監督)を観たときに、ジョージア映画祭主宰のはらだたけひでさんより伺ったお話です。
『インタビュアー』を岩波ホールで1983年に公開したときに、大韓航空機がソ連の領空を侵犯したとして追撃されるという「大韓航空機撃墜事件」が起こり、当時はソ連だったグルジアの映画ということで、観客からそっぽを向かれたというのです。

私自身は、政治と文化は別という意識があるので、心情的にそういう状況になってしまうのは悲しいことだなぁ〜と。 
『インフル病みのペトロフ家』についていえば、セレブレンニコフ監督は、かねてよりロシアのジョージア侵攻やクリミア併合、LGBTへの抑圧を批判するなど、政権に批判的で、今はロシアを出てドイツにいるのです。さらに、監督のお母さまはウクライナ人!
ロシア映画だからと敬遠せずに、劇場に足を運んでいただければと願います。

『インフル病みのペトロフ家』シネジャ作品紹介




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