2022年04月03日

授賞式シーズン

訃報が続いて寂しかったこのごろ、アカデミー賞では濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞受賞。国内ではシネジャで取材させていただいた『海辺の彼女たち』藤元明緒監督が、新藤兼人賞の金賞(小島央大監督は銀賞)、大島渚賞(記念上映会は今日4/3でした)、日本映画批評家大賞では阪元裕吾監督と一緒に新人監督賞と受賞続きです。春本雄二郎監督は各地の映画祭で、俳優さんたちも受賞多し。

ちょっとでも関わった方にいいことがあると嬉しいし、逆に残念だった方もいます。ああ。
石川梵監督は前作『世界でいちばん美しい村』(2017)で取材した後、監督の愛犬十兵衛君の似顔(写真を見て描いた)をさしあげたら、十兵衛君と並べて撮影してfacebookにアップしてくれました。いつか会えたらいいなぁと思っていたのですが、つい先日ガンのため15歳の誕生日の翌日虹の橋を渡りました(泣)。誕生日まで頑張ろうな、と言う監督に約束を果たして静かに逝ったそうです。

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日本映画批評家大賞ドキュメンタリー枠で石川監督の『くじらびと』が受賞。ちょっとでも気持ちが上がったかな。十兵衛君と一緒の映像がいつか発表されるのを楽しみに待っています。(白)
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2022年01月30日

『英雄本色』 ニコパパと古き香港にうっとり (咲)

1月26日(水)1時から京橋で『親愛なる同志たちへ』の試写。その後、3時半から新橋のTCCでの試写があったのですが、コロナの感染が拡大していて地下の狭い試写室で、しかも135分の長尺の映画なのが気になって、何かほかにないかな・・・と検索。京橋の国立映画アーカイブで 「香港映画発展史探訪」の特集をやっているのをすっかり忘れていて、26日は3時から『英雄本色』とわかりました。これって『男たちの挽歌』・・・・それなら何度も観ているしなぁ〜と思ったら、1967年の『英雄本色』なのでした。主演がニコパパこと謝賢で、私にとっては伝説の映画なのですが、観たことがありませんでした。
『親愛なる同志たちへ』は、104分なので、ちょうどよかった!と、ネットでチケットを購入。
国立映画アーカイブで今は窓口でチケットを販売していないのです。発券もしていません。
セブン-イレブンの店頭のマルチコピー機でも購入できますが、座席を選べません。
チケットぴあで購入の場合は自分で指定席を選べて、運よく、通路際の好みの席が1席だけ空いていました。セブン-イレブンかファミマ、どちらで発券するかを選んで手続き終了。当日、1時からの試写の前にファミマで発券して準備完了。

ところが、『親愛なる同志たちへ』の試写が始まるときに、宣伝の方が、「試写状に記載していた尺に誤りがありまして、104分でなく121分です」と言われたのです。え〜っ? 終わるのは3時1分! 国立映画アーカイブは、1分でも過ぎると入れてくれないのです。
もうこれは仕方ない。時間を見計らって退出するしかありません。上映中にスマホで時間を見るのは憚れますが、端っこの席なので許してもらおう! 

『親愛なる同志たちへ』
2,020年、ロシア、監督:アンドレイ・コンチャロフスキー

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(C)Films Boutique

1962年、ソ連南部の町ノボチェルカッスクでの労働者蜂起を軍が弾圧した顛末を描いた物語。公務員の女性が、デモに参加した娘が行方不明になったのを必死に探すのですが、その行方がわかったところで時間切れ。最後の20分は、後日、視聴リンクをいただいて見届けることにしました。
ノボチェルカッスク事件は、ソ連が崩壊するまで隠蔽されていて、虐殺された市民はKGB発表では26名ですが、正式な人数はもっと多いのではと推察されています。
民衆蜂起を政府が弾圧した事件というと、天安門事件や光州事件が思い浮かびますが、世界の各地で起こってきたこと。60年前の出来事ですが、決して過去のことではありません。
この映画については、またゆっくり語りたいと思います。

後ろ髪を引かれながら、3時ちょっと前に国立映画アーカイブに到着。
平日の午後ですが、8割位席が埋まっていました。

『英雄本色』(1967年)
監督・脚本・出演:龍剛(ロン・コン)

金庫破りに失敗した4人組。 リーダーの李卓雄(謝賢)は、恋人と相棒を逃がし、撃たれて逃げそびれた子分を助けに戻って逮捕され服役。出所するとき、刑務所で親しくしていた老人から住所を渡され、自分とはシンガポールで知り合ったといえば、仕事を紹介してくれるはずと言われる。元相棒を訪ねた李は、弟には服役していることは告げず、シンガポールで出稼ぎしていると伝えていたことを知る。刑務所仲間の老人から渡された住所を訪ねると、女性が出てきて、仕事を紹介してくれる。一方、金庫破りでは敏腕の李が出所したことを知って、黒社会のボス独眼竜(石堅)が一味に引き入れようと執拗に追ってくる・・・・

刑務所仲間の老人から紹介された女性は、実は弟の婚約者だったことがわかります。
李は、弟のためにも堅気に暮らそうと、元服役者を支援する協会の手助けも得て、仕事につくのですが、どこにいっても黒社会が追ってきます。
映画は黒社会モノには違いないのですが、監督が元受刑者の更生にも目線を寄せて作ったことが伝わってくる物語でした。

なにより、初めて謝賢の顔が大写しになったとき、あ〜ほんとにニコラス・ツェーのパパだ!と感無量。ニコちゃんが17歳でデビューした頃には、ニコパパは、すでに大御所で貫禄たっぷり。親子と言われても、似てるかな〜という感じでした。
ニコラスの最新作『レイジング・ファイア』では、ニコラスも年を重ねたこともあって、『英雄本色』の謝賢は、ニコラスがほんとに彼の息子であることを実感させてくれました。

そして、本作の魅力は、1960年代後半の香港の街を見れたこと。
まず映し出された香港の夜景。モノクロなので、しっとりとした風情。まだあまり高層ビルもありませんでした。私が初めて香港を訪れたのは、1979年3月。私が勤めていた商社の香港会社が入るという湾仔の64階建ての円形のホープウェルセンターもまだ建設中でした。1980年に完成し、当時、香港で一番高いビルでしたが、今や、ビルの谷間にあるという感じです。
李が入っていた刑務所は、赤柱(スタンレー)。 モスクがあるというので行ったことがあるのですが、モスクは遮断器の向こうにあるので行けませんでした。遮断器の向こうに刑務所があると知ったのはその時のことでした。海辺の素敵なところです。
李が出所して訪ねた元相棒の住む貧民窟は、観塘(クントン)。 海辺にバラックの家が広がっていましたが、その後、工業地帯になり、今では再開発が進み、まったく違った街になっています。
香港島の中環から金鐘にかけては、今もある古いビルや、今はなきヒルトンホテルなどが映りました。
何度(70回位?)も通った香港に思いを馳せたひと時でした。


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2021年12月19日

『再会の奈良』に出演の女優吴彦姝(ウー・イエンシュー)さん(暁)

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c 2020 “再会の奈良” Beijing Hengye Herdsman Pictures Co., Ltd, Nara International Film Festival, Xstream Pictures (Beijing)

この数年、『本がつなげる恋物語(北京遇上西雅图之不二情书)』(16)、『妻の愛、娘の時(相愛相親)』(2017)、『チィファの手紙』(18)、『花椒(ホアジャオ)の味(花椒之味)』(2019)など、日本で公開されたいくつかの映画で印象に残る演技を披露している中国のベテラン女優・吴彦姝(ウー・イエンシュー)さんを紹介します。2022年2月4日には『再会の奈良(又見奈良)』が公開されます。『再会の奈良』では、日本に帰した中国残留孤児の養女・麗華と連絡が取れなくなり、奈良に探しに来たおばあさんの役を演じています。1938年生まれの(1939年説も)83歳。
『本がつなげる恋物語』(16)では愛情深い演技が印象的なおばさん役、同年中国で公開された『搬迁(Relocate)』での演技が評価され、中国でのアカデミー賞と呼ばれる2017年の金鶏奨で最優秀助演女優賞を受賞。『妻の愛、娘の時』では夫の墓を田舎で守る頑固な先妻役を演じ、台湾金馬奨と香港電影金像奨の最優秀助演女優賞にノミネート。『花椒(ホアジャオ)の味』では3女如果のおばあさん役で麻雀に興じるモダンなマダムを演じています。『花椒(ホアジャオ)の味』は2021年11月5日に公開され現在も公開中。「中国国家一級俳優」の称号を持っているそうですが、『妻の愛、娘の時』の時に演じた田舎の貧しい農婦から、『花椒(ホアジャオ)の味』でのモダンなマダム、最初は同一人とは思えませんでした。なんかこのおばあさん見たことあるなと思って、思い起こしてみたら、あの田舎の頑固なおばあさんを演じていた人でした。そして『再会の奈良』では養女麗華を奈良で探し回る役なのです。どんどん若くなっています(笑)。
「1959年に『流水歓歌』で映画初主演を果たし、その後は舞台で活躍し、1990年代にテレビドラマに進出。2003年までは「山西省話劇院」の劇団員として、長年、舞台を中心に活躍。2003年に一度引退し、2011年に復帰。60年に渡って活躍して来た女優さん。そして、中国以外に知られるようになったのは80歳近くなってから。日本で言えば樹木希林さんみたいな存在なのでしょうか。
『妻の愛、娘の時』
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(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.

『花椒(ホアジャオ)の味』
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(C)2019 Dadi Century (Tianjin) Co., Ltd. Beijing Lajin Film Co., Ltd. Emperor Film Production Company Limited Shanghai Yeah! Media Co., Ltd. All Rights Reserved.

母と娘の60年にわたる「絆」と、中国と日本をつなぐ戦争の歴史を今に伝え、問いかける

『再会の奈良』は奈良を舞台にした日中合作映画で、日中の国境を越えた親子の愛を描き、日中の魅力あふれる演技人が出演しています。歴史に翻弄された「中国残留孤児」とその家族がたどる運命、互いを思い合う気持ちを、2005年秋の奈良・御所市を舞台に、切なくもユーモアたっぷりに紡いでいます。監督・脚本は、中国出身の鵬飛(ポンフェイ)監督。ツァイ・ミンリャン監督の現場で助監督・共同脚本などを務め、ホン・サンス監督のアシスタントプロデューサーも務めた。本作は3本目の長編。2作目の『ライスフラワーの香り』が、2018年の「なら国際映画祭」で観客賞を受賞し、“今と未来、奈良と世界を繋ぐ”映画製作プロジェクト「NARAtive2020」の監督に選出され、奈良を舞台にした本作『再会の奈良』を製作した。エグゼクティブプロデューサーは奈良出身で「なら国際映画祭」のエグゼクティブ・ディレクターでもある河瀬直美監督と中国のジャ・ジャンクー監督が務めています。

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c2020“再会の奈良”Beijing Hengye Herdsman Pictures Co.,Ltd,Nara International Film Festival, Xstream Pictures (Beijing)

*シネマジャーナルHP掲載記事
・作品紹介『再会の奈良
・『再会の奈良』ポンフェイ監督インタビュー

ストーリー

中国から陳ばあちゃんが、孫娘のような存在のシャオザーを頼って一人奈良にやって来た。1994年に日本に帰国させた中国残留孤児の養女麗華と数年前から連絡が途絶え心配して探しに来たという。麗華を捜し始めた2人は一雄という男性と知り合い、元警察官だという一雄と麗華捜しを始める。紅葉最中の奈良を舞台に言葉の壁を越えて不思議な縁で結ばれた3人のおかしくも心温まる旅が始まる。日本語ができない陳ばあちゃんのユーモアたっぷりなジェスチャーがおかしい。これだけでも心休まる。異国の地での新たな出会いを通して、陳ばあちゃんは愛する娘との再会を果たせるのか。
麗華探しを手伝う元警察官の一雄を演じるのは、河瀬直美監督の『萌の朱雀』(97)で映画初主演し、『男たちの挽歌』(92)、『哭声/コクソン』(16)、『マンハント』(18)、『MINAMATA-ミナマタ-』(21)など海外作品でも活躍する國村隼。養女探しに来日した養母には中国から参加のウー・イエンシュー。シャオザー役には中国の若手女優イン・ズー。物語の鍵を握る寺の管理人を演じるのは、『あん』(15)、『光』(17)、『Vision(18)』と河P監督と過去3度組んできた永瀬正敏が友情出演。そういえば永瀬正敏も海外の監督作品への出演が多い。シャオザーの元恋人役は、劇団EXILEの秋山真太郎と、豪華な出演者たち。

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c 2020 “再会の奈良” Beijing Hengye Herdsman Pictures Co., Ltd, Nara International Film Festival, Xstream Pictures (Beijing)

『再会の奈良』公式HP
2020年製作/99分/G/中国・日本合作
原題:又見奈良 Tracing Her Shadow
配給:ミモザフィルムズ
共同製作:21インコーポレーション 
後援:奈良県御所市

スタッフ・キャスト
監督・脚本:ポンフェイ
エグゼクティブプロデューサー:河瀬直美、ジャ・ジャンクー
出演:國村隼、ウー・イエンシュー、イン・ズー、秋山真太郎、永瀬正敏
撮影:リャオ・ペンロン
音楽:鈴木慶一 編集:チェン・ボーウェン
照明:斎藤徹 録音:森英司 美術:塩川節子
 
2/4(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開 / 1/28(金)より奈良県にて先行上映

「満蒙平和記念館」を知っていますか? 
長野県阿智村に2013年(平成25年)4月オープン
https://www.manmoukinenkan.com/


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満蒙平和記念館 2016年 撮影 宮崎暁美

1936年に「満州農業移民100万戸移住計画」が国策となり、疲弊した農村の経済の立て直しや食糧増産などを目的に満蒙開拓移民計画が推し進められた。背景には「満州国」の支配、防衛といった軍事的な目的もありました。日本の戦況悪化、ソ連軍侵攻。結果として約27万人の開拓団のうち約8万人がなくなったと言われている。日中双方を含め、多くの犠牲者を出した満蒙開拓の史実を通じて、戦争の悲惨さ、平和の尊さを学び、次世代に語り継ぐと共に国内外に向けた平和発信拠点。
中国残留孤児の肉親捜し、帰国支援に尽力され、「残留孤児の父」と言われる阿智村の名誉村民・山本慈昭さん(阿智村、長岳寺の元住職)。「満蒙平和記念館」は長岳寺のそばにあります。

・満蒙開拓のミニ知識
https://www.manmoukinenkan.com/history/

posted by akemi at 20:37| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月23日

『親愛なる君へ』 基隆で育った母の最期を想う (咲)

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台湾映画『親愛なる君へ』
莫子儀(モー・ズーイー)が同性愛者の主人公を演じているということだけしか知らずに拝見。映画が始まって程なく、低い山に囲まれた港町が映り、あ、基隆!と、もう感無量でした。

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c 2020 FiLMOSA Production All rights

基隆は、私の母が7歳から終戦の年までの10年間を過ごした町。外国航路の船長をしていた祖父が家族と常に暮らせるようにと見つけたのが、基隆港での水先案内人の仕事でした。基隆は、深い入り江になっていて、天然の良港。祖父は水先案内人として、来港した大型船を迎えるたびにコーヒーを振舞われ、胃を荒らしてしまったらしく、おそらくそれがもとで戦争の終わる少し前に亡くなってしまいました。母と祖母はすぐにでも神戸の家に帰りたかったようですが、戦況悪化で沖縄を経由して本土に戻るのはとても無理。敗戦後、台湾に住む日本人は引き揚げることになり、祖母は早々に9月初めの引揚船に乗れるように手配。祖父が水先案内人だったことから伝手があったようです。祖母があんなに急がなければ、もっとゆっくり荷物の整理ができたのにと母によく聞かされました。
日本に持ち帰れるのは、一人行李一つ。大急ぎで必要なものをまとめて、暑いのに服や靴下は何枚も重ねて身に着けたそうです。内地は甘いものが不足しているらしいと、砂糖をお土産にと缶に入れたのですが、砂糖の入った行李を船に積む時にクレーンが海に落としてしまい、砂糖は塩になってしまったのよと後々まで嘆いていました。
一人っ子だった母は、祖父にとても可愛がられたようです。休みの日に、基隆の港の入り口付近の岩場に釣りに連れていってもらったこと、台湾は果物が豊富だから昼食は果物だけにしようと言ったものの数日しか続かなかったこと、戦争が終わったら世界一周の船旅に連れていってあげると言っていたことなど、ほんとによく聞かされました。母は子ども心に、内地での暮らしが懐かしくて、りんごやみかんが届くのが楽しみだったとか。また、祖母が露店の食べ物は不衛生だからと、台湾の美味しいソウルフードを食べさせてもらえなかったそうです。

さて、映画『親愛なる君へ』

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c 2020 FiLMOSA Production All rights

*まずは物語を公式サイトより*
老婦・シウユーの介護と、その孫のヨウユーの面倒をひとりで見る青年・ジエンイー。
血のつながりもなく、ただの間借り人のはずのジエンイーがそこまで尽くすのは、ふたりが今は亡き同性パートナーの家族だからだ。
彼が暮らした家で生活し、彼が愛した家族を愛することが、ジエンイーにとって彼を想い続け、自分の人生の中で彼が生き続ける唯一の方法であり、彼への何よりの弔いになると感じていたからだ。
しかしある日、シウユーが急死してしまう。
病気の療養中だったとはいえ、その死因を巡り、ジエンイーは周囲から不審の目で見られるようになる。
警察の捜査によって不利な証拠が次々に見つかり、終いには裁判にかけられてしまう。
だが弁解は一切せずに、なすがままに罪を受け入れようとするジエンイー。
それはすべて、愛する“家族”を守りたい一心で選択したことだった…

監督・脚本:チェン・ヨウジエ(鄭有傑)
監修:ヤン・ヤーチェ
出演:モー・ズーイー、ヤオ・チュエンヤオ、チェン・シューファン、バイ・ルンイン
2020年/台湾/カラー/106分/シネマスコープ/5.1ch/華語・台湾語
原題:親愛的房客/英題:Dear Tenant
配給:エスピーオー、フィルモット
配給: エスピーオー、フィルモット
★2021年7月23日(金・祝) シネマート新宿・心斎橋ほか全国順次公開
シネジャ作品紹介


今は亡き同性パートナーの弟は、借金から逃げて上海に住んでいて、旧正月で実家に帰ってきても、母親から「家を売りたいの?」「お金がいるの?」と全く信用されていません。
その弟から、ジエンイーは財産狙いで介護しているのかと問い詰められるのです。ヨウユーは叔父さんより、ジエンイーを二番目のパパと呼んで慕っていて、血縁より心の繋がりが大事だと感じさせてくれます。
“国民のおばあちゃん”と呼ばれる名女優チェン・シューファン(陳淑芳)さん演じるシウユーが「痛い痛い」と苦しむのをなんとかしてあげたいと思うジエンイーや孫。
この場面で、10年前の夏、首に出来た癌が悪化して、「痛いから、なんとかして〜」と叫んでいた母を思い出しました。代わってあげることもできず、私には何もしてあげられなくて歯がゆい思いでした。結局、病院が受け入れてくださることになって、7月下旬の今日のような暑い日に入院。モルヒネを打って痛みは止めてもらうことができましたが、程なく意識がなくなり、9月9日に亡くなりました。
11月に入って、母宛に年賀状をくださっていた方たちに母が亡くなったことをお知らせしたところ、すぐにご連絡をくださったのが、佐賀や石垣島に住む基隆時代のご友人たちでした。敗戦で日本の各地に引き揚げてばらばらになってしまった基隆の同級生たち。70歳を過ぎる頃までは、1年に数回、どこかで集まっていました。台湾人の同級生の方たちとも、ずっと親交が続いていました。母にとっては、神戸に次ぐ故郷。
基隆の風景が美しく映し出された『親愛なる君へ』。母と一緒に観たかったとしみじみ思いました。

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ジエンイーが間借りしているシウユーの家は、少し高台に建っていて、上記の画像で窓から港が見えています。(こんな風に海が見えるところに住みたい♪)
位置はおそらく湾のどん詰まり。左手に基隆駅があるところ。母の暮らしていた家は、この位置から見ると右手の丘の中腹。現在、基隆中正公園のある位置のちょっと下あたりだと思います。当時は、戦争中で港を見下ろせる山の上に登ることは禁止されていたそうです。

ところで、ジエンイーを演じた莫子儀(モー・ズーイー)には、『台北に舞う雪〜Snowfall in Taipei』(霍建起監督)が2009年の東京国際映画祭で上映された折に、宮崎暁美さんがインタビューしています。(シネマジャーナル78号に掲載) 私にも声がかかったのですが、指定の時間に、どうしても優先したい予定があって、同席するのを諦めました。その翌日、東京国際映画祭のオープニング・グリーンカーペットを沿道で取材。霍建起監督が『台北に舞う雪』の出演者一行を引き連れて歩いてきたのですが、監督には前日インタビューしたばかりで顔を覚えていてくださっていて、私の正面に一行を連れてきてくださいました。そうして撮れたのが、この写真です。

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『台北に舞う雪』一行。
左から莫子儀(モー・ズーイー)さん、童瑶(トン・ヤオ)さん、霍建起(フォ・ジェンチイ)監督、陳柏霖(チェン・ボーリン)さん、楊祐寧(トニー・ヤン)さん (撮影:景山咲子)

その時に、一番左端の素敵な彼は誰?と思ったのが、莫子儀(モー・ズーイー)でした。
予定を無視してでもインタビューに同席するべきだったと悔しかった次第です。
あれから時を経て、落ち着いたいい役者さんになったと感慨深いです。


posted by sakiko at 20:00| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月11日

津軽三味線にひかれて観た映画『いとみち』 (咲)

7月7日(水)、1時から渋谷・映画美学校で『ミッドナイト・トラベラー』の試写。アフガニスタンのハッサン・ファジリ監督が身の危険を察知し、家族と共に難民として3年がかりでドイツにたどり着くまでの過程をスマートフォンで記録したもの。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019で審査員特別賞を受賞した作品で、その折に観ていますが、もう一度拝見。9月11日に公開されます。詳細は、また後日。

さて、この日、試写はこれ1本。何かもう1本映画をと検索したら、試写室と同じビルにあるユーロスペースで3時10分から『いとみち』がありました。

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ちょうど、高校の同級生のT.S.君から、津軽の旅の写真が届いて、その中に津軽鉄道金木駅で撮った『いとみち』のポスターがあったこともあって触発された次第です。
5月末頃に、シネジャのメンバーの中で、津軽三味線が出てくる映画として話題になっていましたが、メイドカフェのメイドが津軽三味線?!と、実は思い切り引いていたのです。でも、観た人たちの評判はいいし、なにより若い頃から何度か訪れた津軽が舞台。青森出身の横浜聡子監督が津軽弁にこだわったことも気になって、思い切って観てみました。

*物語*
相馬いとは弘前市の高校に通う16歳。母方の祖母と、民俗学者の父と3人で五能線沿線の板柳で暮らしている。津軽弁の訛りが激しくて、授業で本を読めば皆に笑われる。祖母や亡き母に仕込まれた津軽三味線は青森大会で審査員特別賞をもらったほどの腕前だが、しまい込んでいたら皮が破れてしまった。修理代の捻出と、引っ込み思案の性格を直したいと、学校や家から離れた青森市の「津軽メイド珈琲店」でバイトを始める。ところがせっかく慣れた頃にオーナーが逮捕され、店は存続の危機に。いとは、一念発起して、店で津軽三味線のライブをさせてくださいと申し出る・・・

公式サイト
シネジャ作品紹介

リンゴ園越しに見える岩木山に、あ〜この景色! と、弘前から五能線に乗った時のことを思い出しました。岩木山の裾野をぐるっとまわりこむように走っている五能線からは、ずっと岩木山が見えて、とても神々しいです。
豊川悦司さん演じる父は、津軽弁の研究もしている民俗学者なのですが、娘に「けっぱれ(頑張れ)」と励ましても、「ちょっと違う」と言われてしまいます。方言って、ネイティブじゃない人が口にすると、どこか違うものなのですね。
同じ青森でも、南部弁や下北弁とも津軽弁は違うそうですが、津軽の中でも城下町弘前の言葉はさらに柔らかい響き。かつて道に迷って尋ねた時に返ってきた言葉が、半分くらいしか意味がわからないながら、とても上品で感激したのを思い出しました。
『いとみち』の台詞も半分以上が津軽弁ですが、話の流れからなんとなくわかるという感じ。テレビの普及で方言がだんだんすたれていく中、方言を大事にした『いとみち』、いいなと思いました。

ところで、いとが板柳駅で料金表を眺める場面があります。青森まで770円! 弘前の高校に通っているので、五能線から奥羽本線に乗り換える川部までは定期券があるとしても、川部から青森まで590円。メイドカフェの時給は、恐らく千円位でしょうし、交通費は全額は支給されないだろうし・・・と余計な計算をしてしまいました。

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こちらは、1998年にT.S.氏が撮影した板柳駅。
私も冬に五能線に乗ったことがありますが、夏とは全く違う風情でした。

そして、『いとみち』の魅力は、なんといっても津軽三味線。いとを演じた駒井蓮さんは、本作のために猛特訓。おばあちゃん役の西川洋子さんは津軽三味線の巨星・高橋竹山氏の最初のお弟子さん。祖母といとの合奏シーンには、ほろりとさせられます。
激しく豪快なイメージのある津軽三味線ですが、魂の響きを感じます。

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T.S.君から送られてきた中に、「居酒屋の店員さんが皆、津軽三味線を弾ける若い人たちでした。変わり身に驚きました」と、こんな勇壮な写真がありました。
お店は、「津軽三味線ライヴハウス 杏」
津軽三味線の若手第一人者である多田あつしさんが代表。多田あつし&夢弦会のメンバーによる生演奏(マイクなし!)が楽しめます。
http://anzu.tsugarushamisen.jp/
次回、弘前に行ったら、ぜひ迫力ある生演奏を味わいたいと思います。津軽の郷土料理も楽しみです♪

さて、映画『いとみち』の最後、いとが父と一緒に岩木山に登ります。頂上は岩場になっていて、私が学生時代に行った時、あと頂上まで数十メートルのところで断念したのを思い出しました。
津軽を再訪しても、岩木山再挑戦は、もう無理ですねぇ・・・


posted by sakiko at 14:01| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする