2020年09月04日
『マイルス・デイヴィス クールの誕生』黒人差別の根深さを憂い、発想の自由さに感嘆する(咲)
9月4日(金)より公開される『マイルス・デイヴィス クールの誕生』は、ジャズの帝王、マイルス・デイヴィスの人生に迫ったドキュメンタリー。
ジャズに疎い私でも名前だけは知っていたけれど、アーカイヴ映像や、家族や音楽仲間などが語る言葉から知るマイルス・デイヴィスには驚きがいっぱいでした。
父は歯科医、母は音楽教師という裕福な家庭環境だったにもかかわらず、黒人というだけで差別を受けた少年時代。名を馳せてからも、それがどうしたと言わんばかりに、白人から見下されたエピソードなどから、彼のような人物でさえ、黒人差別の厚い壁を破れない病んだアメリカ社会をずっしり感じました。
マイルス・デイヴィスが、初めてアメリカを出てパリに赴き、そこで恋人となったシャンソン歌手で女優のジュリエット・グレコを通じて、ピカソやサルトルと知り合います。偏見のない白人もいることを知り、人種を越えて心が自由だと感じたというエピソードにほろりとさせられました。
そんな彼が、妻フランシス・テイラーがミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」に出演していたのに、「妻は家にいるべきだ」と言って舞台を降板させたことには、古くさい男女差別?と驚きました。
マイルス・デイヴィスが、ジャズの枠を越えて活動したことも語られていましたが、中でも、スペインに行ってフラメンコの音楽、NYのインド料理屋でインドの音楽に魅せられて影響を受けたという話には興味津々でした。自由な発想が許容されるのがジャズなのですね。
ジャズが好きな妹にマイルス・デイヴィスの映画を観たとLineを送ったら、「マーカス・ミラー出てた? ベースマン。マイルスに見出された人。超人気」と返事が来ました。
妹は大学時代にはビックバンドでキーボード。その後、ブルースハープの教室を経営していたことも。シカゴで数か月、ミュージッシャンのところに世話になって、セッションにも参加したことがあるほどジャズ好き。
小学生のころ、一緒にピアノのお稽古に通っていたのですが、楽譜がないと弾けない私と違って(あ、今は楽譜を見ても弾けません・・・)、妹は楽譜とは関係なく指を動かしてました。お稽古の日に、ファミリアのアップリケ付きの楽譜カバンを家に忘れていって、母が追いかけてきたことも。どうやら妹には楽譜は不要だった?!
そんな次第で、今でも家には山ほどジャズのレコードがあるのですが、私は自分から聴いたことはありません。 今や聴いてみたくても、プレイヤーがありません・・・ せめてジャケットでも眺めてみましょう!
『マイルス・デイヴィス クールの誕生』原題:Miles Davis: Birth of the Cool
監督:スタンリー・ネルソン
出演:マイルス・デイヴィス、クインシー・ジョーンズ、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、ジミー・コブ、マーカス・ミラー、マイク・スターン、ジョシュア・レッドマン、カルロス・サンタナ、ジュリエット・グレコ、クライヴ・デイヴィス、フランシス・テイラーほか
シネジャ作品紹介
2019年/アメリカ/115分
配給:EASTWORLD ENTERTAINMENT
協力:トリプルアップ
公式サイト:https://www.universal-music.co.jp/miles-davis-movie/
★2020年9月4日(金)よりアップリンク渋谷、池袋HUMAXシネマズほか全国順次公開
2020年08月30日
『おかあさんの被爆ピアノ』に亡き母を思う (咲)
先日、3時半からの試写の前に、時間的に観られる映画を探して、目に留まったのが新宿K's cinema.で上映されている『おかあさんの被爆ピアノ』(監督・脚本:五藤利弘)でした。タイトルだけで、これは観るべき映画と直感。
佐野史郎さん演じるピアノ調律師が、広島で被爆したピアノをトラックで運んで、全国でコンサートを開いているという予備知識だけで見始めたら、最初に出てきたのが、第五福竜丸の袂でのコンサート。一気に亡き母を思い出しました。10代の頃に戦争を体験した母は、戦争反対! 原爆反対!と、小さな声でよくつぶやいていました。夢の島公園にある熱帯植物園を目指して行った時も、その手前にある第五福竜丸展示館の前で足が止まりました。私はその時には第五福竜丸がアメリカの水爆実験で被爆したことを知らなかったのですが、母はちゃんと知っていた次第。その後、一人で展示館での講演会にも足を運んでいました。
映画『おかあさんの被爆ピアノ』に話を戻します。
シューベルトの「アヴェ・マリア」で始まる第五福竜丸での被爆ピアノのコンサート。
終了して、ピアノをトラックに積み込む調律師・矢川に、コンサートを観にきていた武藤十夢さん演じる菜々子が、「広島まで乗せてってください」と声をかけます。
母親の実家が広島で、亡き祖母のピアノを矢川に寄贈したことから、第五福竜丸コンサートの招待状が届いていて、菜々子はそれをこっそり失敬して来ていたのです。母親は日ごろから菜々子に広島のことを語りたがらず、祖母のピアノを寄贈したことも話していませんでした。被爆2世である母は、娘に被爆3世であることを意識させたくないのですね。
菜々子は、矢川が毎年原爆の日に原爆ドームの前でコンサートを開いていると知って、祖母のピアノを弾きたいと申し出ます。
菜々子は大学で幼児教育を学び幼稚園教師を目指しているので、ピアノは弾けるのですが、ブルグミューラーの練習曲のレベル。私もピアノを習い始めた頃に弾いた懐かしい曲の数々。それが、原爆ドーム前コンサートでは、ベートーヴェンの「悲愴 第二楽章」に挑戦したいというのです。
これがまた、私には懐かしい曲! 中学を卒業したら東京に引っ越すことを知ったピアノの先生が、発表会で私に与えてくださったのが、「悲愴 第一楽章」でした。ちょっと背伸びした選曲で、それはもう大変でした。落ち着いた第二楽章と違って、第一楽章はまさに悲愴感漂い、激しい曲。神戸オリエンタルホテルでの発表会では、どんどんスピードが速くなって、どうなることかと観ていた母は冷や冷やしたそうです。
思えば、母が私にピアノを習わせたのも、自分が戦争でピアノのお稽古を中断せざるを得なかったからでしょう。
『おかあさんの被爆ピアノ』では、母親が娘を思う気持ちが丁寧に描かれていました。森口瑤子さんが、さばさばした素敵なお母さんを演じています。
それにしても、爆心地近くで焼け残ったピアノがあったことを知り驚きました。まさに奇跡ですね。そのピアノが語り継いでくれる原爆の記憶。平和の大切さをかみしめたいです。
『おかあさんの被爆ピアノ』
公式サイト: http://hibakupiano.com/
2020年08月25日
怒ったり考えたり(白)
8月25日(火)
facebookで「オリンピック組織委員会が虎ノ門ヒルズを1フロア借りていて、毎月4千万も賃貸料がかかっている」と知りました。
ええええ〜〜。何を今さら、なんでしょうが。もしかしたら東京一家賃高い??
委員会の住所は確かにそこになっていました。
都庁でやれない理由は何?ほかに予算が必要な部署はいくらでもあるのになんなんですか。税金を吸い上げて自分のもののように無駄遣いする役人、って封建時代か。
『はりぼて』でも自分の身近にもきっとある、と思いました。慣れてしまうと、麻痺するんですね、感覚。おかしい!と気づかなくちゃ。
今のヒエラルキー構造を逆転させた小説か映画を、どなたか作ってくれないものでしょうか??朝目覚めたらお金持ちは貧しくて、今日食べる心配をしなければならなくなった、という。そこで活躍するのは中間層になるかな。互いの境遇を知ったら世の中がちょっとでも良くならないか、と期待してはダメでしょうか。細かい展開が考えられないので、誰か〜〜。すでにあったら(ありそうだ)教えてくださいませ。
昨日試写の前に時間があったので、劇場で『3年目のデビュー』を観ました。(監督:竹中 優介/キャスト:日向坂46/企画監修:秋元康)
AKB48のドキュメンタリーは以前観て、やっと何人かの顔を覚えました。が、メンバーが入れ替わってもうわからない。
こちらは2015年発足の「けやき坂46」(欅坂46の妹分。ひらがなけやき)から2019年「日向坂46」へと名前が変わりました。
芸能界やアイドルに憧れて、選抜されて入ってきた子たちが走り続けていく毎日が切り取られています。
品質の良いものを育て、選び、並べて売り出し、傷ついたら新しいものに取り換える。より多くの成果が上がるようにたくさんの大人たちが関わる。芸能というビジネスの中の商品なんですねぇ。コンサート会場が年々大きくなり、期待値も上がる。東京ドーム公演を目指す真剣な彼女たちの涙にもらい泣きしてしまう。願わくは彼女や彼らが幸せで、やってきて良かった!と思える日々でありますように。
渋谷駅のいつもと違う出入り口を探して迷子になりそうでした。
なんだか行くたびに変わっている気がする。写真はいつもチェックする文化村入り口の花屋さん。(白)
facebookで「オリンピック組織委員会が虎ノ門ヒルズを1フロア借りていて、毎月4千万も賃貸料がかかっている」と知りました。
ええええ〜〜。何を今さら、なんでしょうが。もしかしたら東京一家賃高い??
委員会の住所は確かにそこになっていました。
都庁でやれない理由は何?ほかに予算が必要な部署はいくらでもあるのになんなんですか。税金を吸い上げて自分のもののように無駄遣いする役人、って封建時代か。
『はりぼて』でも自分の身近にもきっとある、と思いました。慣れてしまうと、麻痺するんですね、感覚。おかしい!と気づかなくちゃ。
今のヒエラルキー構造を逆転させた小説か映画を、どなたか作ってくれないものでしょうか??朝目覚めたらお金持ちは貧しくて、今日食べる心配をしなければならなくなった、という。そこで活躍するのは中間層になるかな。互いの境遇を知ったら世の中がちょっとでも良くならないか、と期待してはダメでしょうか。細かい展開が考えられないので、誰か〜〜。すでにあったら(ありそうだ)教えてくださいませ。
昨日試写の前に時間があったので、劇場で『3年目のデビュー』を観ました。(監督:竹中 優介/キャスト:日向坂46/企画監修:秋元康)
AKB48のドキュメンタリーは以前観て、やっと何人かの顔を覚えました。が、メンバーが入れ替わってもうわからない。
こちらは2015年発足の「けやき坂46」(欅坂46の妹分。ひらがなけやき)から2019年「日向坂46」へと名前が変わりました。
芸能界やアイドルに憧れて、選抜されて入ってきた子たちが走り続けていく毎日が切り取られています。
品質の良いものを育て、選び、並べて売り出し、傷ついたら新しいものに取り換える。より多くの成果が上がるようにたくさんの大人たちが関わる。芸能というビジネスの中の商品なんですねぇ。コンサート会場が年々大きくなり、期待値も上がる。東京ドーム公演を目指す真剣な彼女たちの涙にもらい泣きしてしまう。願わくは彼女や彼らが幸せで、やってきて良かった!と思える日々でありますように。
渋谷駅のいつもと違う出入り口を探して迷子になりそうでした。
なんだか行くたびに変わっている気がする。写真はいつもチェックする文化村入り口の花屋さん。(白)
2020年08月09日
『ファヒム パリが見た奇跡』に、難民認定の壁の高さを思う (咲)
8月14日(金)に公開される映画『ファヒム パリが見た奇跡』。
バングラデシュの少年ファヒムが、父と共に難民としてやってきたフランスで、チェスのフランス王者となり滞在許可証を得た実話に基づく物語。
ポスターを見て、これは観たい!と思った映画でした。
今、世界には紛争や迫害など様々な事情で、住み慣れた故国を離れ、難民となる人が後を絶ちません。移動途中で命を落とす人もいれば、やっとの思いでたどり着いた地から、強制送還される人もいます。
本作は、運よくフランスに受け入れてもらったファヒムの物語ですが、滞在許可を手にするまでには、紆余曲折、大変な思いをしています。
チェスの達人としての能力に長けていただけでなく、出会った人々の助けがあったからこそ得ることのできた幸せな居場所。 人と人との繋がりの大切さを教えてくれる物語です。
『ファヒム パリが見た奇跡』
監督・脚本:ピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル
出演・:アサド・アーメッド、ジェラール・ドパルデュー、ミザヌル・ラハマン、イザベル・ナンティ
*物語*
2010年代初頭の政変に揺れるバングラデシュ。 反政府運動に関わっていたファヒムの父は、息子がチェスのチャンピオンになったことから有名になって、脅迫を受けるようになり、フランスへの亡命を決意する。 落ち着いたら家族を呼び寄せようと、母親や兄弟たちと別れ、二人で旅立つ。 セーヌ河畔で野宿していたところを保護され、難民センターに入居。難民申請の結果が出るまで滞在できることになる。
さっそく近くのチェス教室に行くが、有能だが独特な指導をするコーチのシルヴァンとは、なかなか折り合わない。次第にコーチと心を通わせ、教室の仲間の家に泊まり歩きながらフランス王者を目指してトーナメントに挑戦する。
一方、父親は難民申請を却下され、野宿しながら強制送還されることにおびえていた・・・
2019年/フランス/シネマスコープ/カラー/デジタル/ 107分
後援:フランス大使館、アンスティチュ・フランセ、ユニフランス
提供:東京テアトル、東北新社
配給:東京テアトル/STAR CHANNEL MOVIES
(C) POLO-EDDY BRIERE.
公式サイト:https://fahim-movie.com/
★8月14日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国公開
移民局での難民申請の折、ベンガル語の通訳が、なぜか不利になるような間違った訳ばかりします。 これでは滞在許可が下りるはずはないと、はらはらします。半年後の面接の時には、ファヒムがフランス語をかなりわかるようになっていて、通訳の間違いを指摘します。 どうやら、インド出身のベンガル人で、バングラデシュからの移民を排除したい意図があったらしいことが明かされます。
この場面で思ったのが、言葉の壁。
法廷通訳をしている知人友人が数人いますが、裁判という場なので、特に正確に双方の考えを伝えなくてはと気を使うと言っています。
通訳の責任は大きいです。
ところで、フランスが滞在許可書や国籍を付与する条件の中に、「フランス語が話せる」という項目があります。
ファヒムは学校にも行き、どんどんフランス語を身に着けていきますが、父親は人と接する機会も少なく、なかなか話せるようになりません。
ちなみに、私も何度かフランス語に挑戦しましたが挫折。フランスには受け入れてもらえそうにありません。
そして、ファヒムは、チェスの12歳以下のフランス王者になったことから、滞在許可を得ることができました。 え〜、そんなことで許可されるの?とちょっとびっくりでしたが、外国人の滞在許可基準の中に、「文化、芸術、スポーツなどで特別な才能がある人」「社会に貢献した人」と言う項目があるのです。
我が日本は、どうでしょう・・・
いろいろな思いがよぎります。
バングラデシュの少年ファヒムが、父と共に難民としてやってきたフランスで、チェスのフランス王者となり滞在許可証を得た実話に基づく物語。
ポスターを見て、これは観たい!と思った映画でした。
今、世界には紛争や迫害など様々な事情で、住み慣れた故国を離れ、難民となる人が後を絶ちません。移動途中で命を落とす人もいれば、やっとの思いでたどり着いた地から、強制送還される人もいます。
本作は、運よくフランスに受け入れてもらったファヒムの物語ですが、滞在許可を手にするまでには、紆余曲折、大変な思いをしています。
チェスの達人としての能力に長けていただけでなく、出会った人々の助けがあったからこそ得ることのできた幸せな居場所。 人と人との繋がりの大切さを教えてくれる物語です。
『ファヒム パリが見た奇跡』
監督・脚本:ピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル
出演・:アサド・アーメッド、ジェラール・ドパルデュー、ミザヌル・ラハマン、イザベル・ナンティ
*物語*
2010年代初頭の政変に揺れるバングラデシュ。 反政府運動に関わっていたファヒムの父は、息子がチェスのチャンピオンになったことから有名になって、脅迫を受けるようになり、フランスへの亡命を決意する。 落ち着いたら家族を呼び寄せようと、母親や兄弟たちと別れ、二人で旅立つ。 セーヌ河畔で野宿していたところを保護され、難民センターに入居。難民申請の結果が出るまで滞在できることになる。
さっそく近くのチェス教室に行くが、有能だが独特な指導をするコーチのシルヴァンとは、なかなか折り合わない。次第にコーチと心を通わせ、教室の仲間の家に泊まり歩きながらフランス王者を目指してトーナメントに挑戦する。
一方、父親は難民申請を却下され、野宿しながら強制送還されることにおびえていた・・・
2019年/フランス/シネマスコープ/カラー/デジタル/ 107分
後援:フランス大使館、アンスティチュ・フランセ、ユニフランス
提供:東京テアトル、東北新社
配給:東京テアトル/STAR CHANNEL MOVIES
(C) POLO-EDDY BRIERE.
公式サイト:https://fahim-movie.com/
★8月14日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国公開
移民局での難民申請の折、ベンガル語の通訳が、なぜか不利になるような間違った訳ばかりします。 これでは滞在許可が下りるはずはないと、はらはらします。半年後の面接の時には、ファヒムがフランス語をかなりわかるようになっていて、通訳の間違いを指摘します。 どうやら、インド出身のベンガル人で、バングラデシュからの移民を排除したい意図があったらしいことが明かされます。
この場面で思ったのが、言葉の壁。
法廷通訳をしている知人友人が数人いますが、裁判という場なので、特に正確に双方の考えを伝えなくてはと気を使うと言っています。
通訳の責任は大きいです。
ところで、フランスが滞在許可書や国籍を付与する条件の中に、「フランス語が話せる」という項目があります。
ファヒムは学校にも行き、どんどんフランス語を身に着けていきますが、父親は人と接する機会も少なく、なかなか話せるようになりません。
ちなみに、私も何度かフランス語に挑戦しましたが挫折。フランスには受け入れてもらえそうにありません。
そして、ファヒムは、チェスの12歳以下のフランス王者になったことから、滞在許可を得ることができました。 え〜、そんなことで許可されるの?とちょっとびっくりでしたが、外国人の滞在許可基準の中に、「文化、芸術、スポーツなどで特別な才能がある人」「社会に貢献した人」と言う項目があるのです。
我が日本は、どうでしょう・・・
いろいろな思いがよぎります。
2020年07月26日
『剣の舞 我が心の旋律』 世界に離散したアルメニア人に思いを馳せる (咲)
小学生の頃から、運動会などで慣れ親しんできた「剣の舞」。激しく打ち鳴らされる木琴の音で始まる勇壮な曲を作ったのが、ハチャトゥリアンというアルメニア人だと知ったのは、おそらく20代の頃。
ハチャトゥリアンの代表曲のように記憶されている「剣の舞」ですが、実はソ連当局の圧力で、たった一晩で書き上げた曲だったことを明かす映画『剣の舞 我が心の旋律』が、7月31日(金)より新宿武蔵野館ほかで全国順次公開されます。
『剣の舞 我が心の旋律』
監督・脚本:ユスプ・ラジコフ
*物語*
1942年11月29日、第二次世界大戦下のソ連。モロトフ(現ペルミ)に疎開中のキーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場では、10日後に初演を迎えるバレエ「ガイーヌ」の準備に追われていた。作曲家アラム・ハチャトリアン(アンバルツム・カバニン)が、祖国アルメニアを思い書き上げた演目だ。
文化省のプシュコフ(アレクサンドル・クズネツォフ)が上演前の検閲にやって来る。プシュコフは完成した「ガイーヌ」の結末を勝手に変更し、最後に士気高揚する踊りをダイナミックに入れろと命じる。プシュコフは、かつてアラムと共に学んでいたが、音楽の才能がなくて共産党に傾倒した人物。衣装も振付も間に合わない。皆が不可能と訴える中、アラムは理不尽な要求に立ち向かう・・・
配給:アルバトロス・フィルム
公式サイト
シネジャ 作品紹介
★2020年7月31日(金)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
ハチャトゥリアンは、「オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を世界が傍観してファシズムが台頭した。無視しなければ、ユダヤの虐殺も防げた。このことを入れ込みたい」と語りますが、プシュコフは「今やトルコはソ連の友好国。昔のことは忘れろ。百年もすれば誰も覚えてない」と一蹴します。思いを直接には書けないと悟ったハチャトゥリアンは、プシュコフを満足させつつ、アルメニア人としての怒りや悲しみを根底にした曲を一気に書き上げたのです。
c 2018 Mars Media Entertainment, LLC, DMH STUDIO LLC
映画の中で、回想場面として出てくる1939年のアルメニア訪問。アルメニア人の心の拠り所であるアララト山を眺めながら、老人が語りかけます。「25年前に先祖の墓も家も捨てて、砲弾の中、泣く泣く故郷をあとにした。あの山で死んだ者の分まで生きねば。忘れなければ、世界を腐敗から防げる」
ノアの箱舟が大洪水の後に流れ着いたとされるアララト山。今はトルコ共和国に所在しますが、かつてはアルメニア人の居住していた「大アルメニア」の真ん中に位置していた山。
アルメニア側からみると、大アララトが右側、小アララトが左側。山の向こうの東トルコのヴァン湖の側から見れば、逆になります。
ハチャトリアンが大雨の中、アララト平原を走っている時に、運転手が「これはヴァン湖の雨。聖なる水」と語りかけます。アララト山の向こうの故郷に思いを馳せる言葉に心を動かされます。
ハチャトゥリアンは、このアルメニア滞在で、祖国を追われたアルメニア人の苦悩を生涯のテーマにして世界に伝えたいと誓うのです。それはアルメニア人に限らず、全人類が平和に暮らせるようにとの願い。
アルメニア人が故郷を追われたのは、この20世紀初頭のオスマン帝国によることよりも、ずっと遡ります。12世紀に東ローマ帝国によってアルメニア王国が滅ぼされ、アルメニア人は世界中に離散。アルメニア人の6割は今のアルメニア共和国以外の場所で暮らしています。
ハチャトゥリアンは、1903年5月24日、ロシア帝国支配下にあったグルジア(現ジョージア)のティフリス(現トビリシ)でアルメニア人の家庭の4男として生まれています。
ハチャトゥリアンの祖先がいつグルジアに移住してきたのかは不明ですが、1915年から1916年にかけて東トルコの地を追われて命からがら逃げてきたアルメニア人の姿を、ハチャトゥリアンは子どもの頃に目の当たりにしているに違いありません。
私が初めてアルメニアに接したのは、1978年に訪れたイランのエスファハーンのジョルファ地区にあるヴァーンク教会(1605年創建)でのことでした。なぜ、ここにアルメニア人のコミュニティーがあるのか、あまり深くは考えませんでした。後にまたイランを訪れた時に、テヘランのアルメニア人宅を訪ねたことがあります。家ではアルメニア語で話していて、子どもたちは学校ではペルシア語で学ぶけれど、アルメニア語は別に学ぶ場所があると言ってました。その一家も、イスラーム政権下では、暮らしにくいのか、今はカナダに移住してしまいました。
それでも、イランにはまだちゃんと使われているアルメニア教会がいくつかあります。
テヘランのアルメニア教会に連れていってもらった時、アルメニア人の友人が入り口手前の碑の前で黙礼していて、何かと尋ねたら、アルメニア人虐殺への祈りでした。
トルコ国境に近いところにある黒の教会とも呼ばれる聖タデウス修道院を訪ねた時、今はひっそりとしているけれど、1年に1回、世界中からアルメニア人が集まると聞きました。
黒の教会にも近いトルコ国境のそばにある町マ―クーの町はずれからは、アララト山を眺めました。大アララトが右側、小アララトが左側に見えました。2005年のことでした。
翌年には、東トルコを旅して、トルコ側からアララト山を眺めました。
東トルコでは、各地で立派なアルメニア教会をいくつも観ました。観光用に整備された教会以外は、どこも廃墟になっていました。
一番ショックを受けたのは、ヴァン湖近くの丘の上から眼下を眺めた時に、広大な森の中に大きな教会の廃墟二つを見たときのことでした。家は森に埋もれて朽ちていましたが、教会だけが、そこにアルメニアの人たちが暮らしていた証として存在していました。
東トルコの旅:スタッフ日記2006年9月第2週 2006/9/10(Sun)
http://www.cinemajournal.net/diary/2006.html#saki_turkey
最後に、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を描いた映画で、私が観たものを挙げておきます。
◆『ナーペト』
(ヘンリク・マリャン監督、1977年、アルメニア)
1920年代初頭に一族すべてを大虐殺で失った家長のナーペトがアララト谷の村にたどり着き、 やがて、やはり虐殺で家族を失った女性を娶り、心の平和を取り戻す話。
「アルメニア・フィルム・セレクション」(2006年8月開催)の中で上映されました。
http://www.cinemajournal.net/review/2006/index.html#armenia
◆『アララトの聖母』
(アトム・エゴヤン監督、2002年、カナダ)
アルメニア人の映画監督エドワード・サロヤンは、画家アーシル・ゴーキーの絵画をモチーフに、アルメニア人虐殺の悲劇を映画化を企画する。
サロヤン役をアルメニア人のシャルル・アズナブールが演じている。
◆『消えた声が、その名を呼ぶ』
(ファティ・アキン監督、2014年、ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・ポーランド・カナダ・トルコ・ヨルダン)
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/431438237.html
トルコではタブーとなっているアルメニア人虐殺を背景に、ドイツ移民のトルコ人監督ファティ・アキンがタハール・ラヒムを主役に描いた映画。
喉を切りつけられて声を失いながらも、奇跡的に生き延びた男が、娘たちが生きていると耳にして、レバノンからキューバ、そしてアメリカのミネアポリスへと娘たちを探す果てしない旅に出る。
◆『THE PROMISE/君への誓い』
(テリー・ジョージ監督、2016年、スペイン・アメリカ)
第一次世界大戦中の1915〜16年にオスマン帝国統治下で起こったアルメニア人の悲劇を背景にした4人の男女の友情や愛憎を描いた壮大な物語
監督インタビュー
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/456646172.html
ハチャトゥリアンの代表曲のように記憶されている「剣の舞」ですが、実はソ連当局の圧力で、たった一晩で書き上げた曲だったことを明かす映画『剣の舞 我が心の旋律』が、7月31日(金)より新宿武蔵野館ほかで全国順次公開されます。
『剣の舞 我が心の旋律』
監督・脚本:ユスプ・ラジコフ
*物語*
1942年11月29日、第二次世界大戦下のソ連。モロトフ(現ペルミ)に疎開中のキーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場では、10日後に初演を迎えるバレエ「ガイーヌ」の準備に追われていた。作曲家アラム・ハチャトリアン(アンバルツム・カバニン)が、祖国アルメニアを思い書き上げた演目だ。
文化省のプシュコフ(アレクサンドル・クズネツォフ)が上演前の検閲にやって来る。プシュコフは完成した「ガイーヌ」の結末を勝手に変更し、最後に士気高揚する踊りをダイナミックに入れろと命じる。プシュコフは、かつてアラムと共に学んでいたが、音楽の才能がなくて共産党に傾倒した人物。衣装も振付も間に合わない。皆が不可能と訴える中、アラムは理不尽な要求に立ち向かう・・・
配給:アルバトロス・フィルム
公式サイト
シネジャ 作品紹介
★2020年7月31日(金)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
ハチャトゥリアンは、「オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を世界が傍観してファシズムが台頭した。無視しなければ、ユダヤの虐殺も防げた。このことを入れ込みたい」と語りますが、プシュコフは「今やトルコはソ連の友好国。昔のことは忘れろ。百年もすれば誰も覚えてない」と一蹴します。思いを直接には書けないと悟ったハチャトゥリアンは、プシュコフを満足させつつ、アルメニア人としての怒りや悲しみを根底にした曲を一気に書き上げたのです。
c 2018 Mars Media Entertainment, LLC, DMH STUDIO LLC
映画の中で、回想場面として出てくる1939年のアルメニア訪問。アルメニア人の心の拠り所であるアララト山を眺めながら、老人が語りかけます。「25年前に先祖の墓も家も捨てて、砲弾の中、泣く泣く故郷をあとにした。あの山で死んだ者の分まで生きねば。忘れなければ、世界を腐敗から防げる」
ノアの箱舟が大洪水の後に流れ着いたとされるアララト山。今はトルコ共和国に所在しますが、かつてはアルメニア人の居住していた「大アルメニア」の真ん中に位置していた山。
アルメニア側からみると、大アララトが右側、小アララトが左側。山の向こうの東トルコのヴァン湖の側から見れば、逆になります。
ハチャトリアンが大雨の中、アララト平原を走っている時に、運転手が「これはヴァン湖の雨。聖なる水」と語りかけます。アララト山の向こうの故郷に思いを馳せる言葉に心を動かされます。
ハチャトゥリアンは、このアルメニア滞在で、祖国を追われたアルメニア人の苦悩を生涯のテーマにして世界に伝えたいと誓うのです。それはアルメニア人に限らず、全人類が平和に暮らせるようにとの願い。
アルメニア人が故郷を追われたのは、この20世紀初頭のオスマン帝国によることよりも、ずっと遡ります。12世紀に東ローマ帝国によってアルメニア王国が滅ぼされ、アルメニア人は世界中に離散。アルメニア人の6割は今のアルメニア共和国以外の場所で暮らしています。
ハチャトゥリアンは、1903年5月24日、ロシア帝国支配下にあったグルジア(現ジョージア)のティフリス(現トビリシ)でアルメニア人の家庭の4男として生まれています。
ハチャトゥリアンの祖先がいつグルジアに移住してきたのかは不明ですが、1915年から1916年にかけて東トルコの地を追われて命からがら逃げてきたアルメニア人の姿を、ハチャトゥリアンは子どもの頃に目の当たりにしているに違いありません。
私が初めてアルメニアに接したのは、1978年に訪れたイランのエスファハーンのジョルファ地区にあるヴァーンク教会(1605年創建)でのことでした。なぜ、ここにアルメニア人のコミュニティーがあるのか、あまり深くは考えませんでした。後にまたイランを訪れた時に、テヘランのアルメニア人宅を訪ねたことがあります。家ではアルメニア語で話していて、子どもたちは学校ではペルシア語で学ぶけれど、アルメニア語は別に学ぶ場所があると言ってました。その一家も、イスラーム政権下では、暮らしにくいのか、今はカナダに移住してしまいました。
それでも、イランにはまだちゃんと使われているアルメニア教会がいくつかあります。
テヘランのアルメニア教会に連れていってもらった時、アルメニア人の友人が入り口手前の碑の前で黙礼していて、何かと尋ねたら、アルメニア人虐殺への祈りでした。
トルコ国境に近いところにある黒の教会とも呼ばれる聖タデウス修道院を訪ねた時、今はひっそりとしているけれど、1年に1回、世界中からアルメニア人が集まると聞きました。
黒の教会にも近いトルコ国境のそばにある町マ―クーの町はずれからは、アララト山を眺めました。大アララトが右側、小アララトが左側に見えました。2005年のことでした。
翌年には、東トルコを旅して、トルコ側からアララト山を眺めました。
東トルコでは、各地で立派なアルメニア教会をいくつも観ました。観光用に整備された教会以外は、どこも廃墟になっていました。
一番ショックを受けたのは、ヴァン湖近くの丘の上から眼下を眺めた時に、広大な森の中に大きな教会の廃墟二つを見たときのことでした。家は森に埋もれて朽ちていましたが、教会だけが、そこにアルメニアの人たちが暮らしていた証として存在していました。
東トルコの旅:スタッフ日記2006年9月第2週 2006/9/10(Sun)
http://www.cinemajournal.net/diary/2006.html#saki_turkey
最後に、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を描いた映画で、私が観たものを挙げておきます。
◆『ナーペト』
(ヘンリク・マリャン監督、1977年、アルメニア)
1920年代初頭に一族すべてを大虐殺で失った家長のナーペトがアララト谷の村にたどり着き、 やがて、やはり虐殺で家族を失った女性を娶り、心の平和を取り戻す話。
「アルメニア・フィルム・セレクション」(2006年8月開催)の中で上映されました。
http://www.cinemajournal.net/review/2006/index.html#armenia
◆『アララトの聖母』
(アトム・エゴヤン監督、2002年、カナダ)
アルメニア人の映画監督エドワード・サロヤンは、画家アーシル・ゴーキーの絵画をモチーフに、アルメニア人虐殺の悲劇を映画化を企画する。
サロヤン役をアルメニア人のシャルル・アズナブールが演じている。
◆『消えた声が、その名を呼ぶ』
(ファティ・アキン監督、2014年、ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・ポーランド・カナダ・トルコ・ヨルダン)
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/431438237.html
トルコではタブーとなっているアルメニア人虐殺を背景に、ドイツ移民のトルコ人監督ファティ・アキンがタハール・ラヒムを主役に描いた映画。
喉を切りつけられて声を失いながらも、奇跡的に生き延びた男が、娘たちが生きていると耳にして、レバノンからキューバ、そしてアメリカのミネアポリスへと娘たちを探す果てしない旅に出る。
◆『THE PROMISE/君への誓い』
(テリー・ジョージ監督、2016年、スペイン・アメリカ)
第一次世界大戦中の1915〜16年にオスマン帝国統治下で起こったアルメニア人の悲劇を背景にした4人の男女の友情や愛憎を描いた壮大な物語
監督インタビュー
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/456646172.html