2013年06月04日

高野悦子さんお別れの会で、素敵な映画の数々を思い出し感謝 (咲)

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6月3日、今年2月9日に亡くなられた岩波ホール総支配人 高野悦子さんお別れの会に参列してきました。大勢の方が詰めかけ、祭壇の置かれた部屋に入り切れず、私たちは隣の部屋でスクリーンに映し出される祭壇を拝見しながら黙祷。
弔辞を、同じ巳年生まれのご友人、元文部大臣 赤松良子様、映画監督 山田洋次様、映画評論家の佐藤忠男様が述べられました。それぞれに高野悦子さんの映画人生を称えました。ほんとに大きなご功績を残されました。
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続いて、韓国現代舞踊家の金梅子様による死者を送る舞。金梅子様は高野悦子さんの舞の師匠。ポーランドで行われた催しのポスターには、高野さんの踊る姿が。

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懇親会会場には、高野悦子さんがテレビ番組で語る姿を映すスクリーン、人生を振り返る写真、多くの著書、そして岩波ホールで公開された懐かしい映画の数々が紹介されていました。

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高野悦子さんがジェネラルプロデューサーを務めた東京国際女性映画祭の軌跡。
高野悦子さんに直接お会いすることの出来た機会。凛としながらも、大和撫子のしとやかさを感じさせてくれる姿に、こんな女性でありたいと憧れたものでした。(まったく無理ですが・・・)

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一昨年亡くなった母も、岩波ホールにはよく足を運んでいました。
『達磨はなぜ東へ行ったのか』が満席で入れなくて、次の回まで外で待っていたと話していたことを思い出しました。
心に残る映画の数々を紹介してくださった高野悦子さんにほんとうに感謝申しあげます。
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posted by sakiko at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月17日

三國連太郎さんとの思い出  (咲)

三國連太郎さんご逝去の報に、思えば、これまでに2回お話する機会があったと懐かしく思い出しました。
日本イラン合作映画『風の絨毯』(2002年)で、高山の祭屋台のために絨毯をイランに発注する大旦那役を演じた三國連太郎さん。そのモデルになった飛騨高山の事業家・中山金太さんの功績を描いたドキュメンタリー『平成職人の挑戦』(2004年)では語りを務められたのですが、完成披露試写会の後の懇親会で思い切ってお声をかけてみました。『風の絨毯』の東京国際映画祭上映の折の舞台挨拶の時に、王政時代のイランにいらしたことがあるとおっしゃっていたので、そのことをちょっとお伺いしたかったのです。どんなお話をしてくださったのかは忘れてしまいましたが、その後に「実は、私の父が三國連太郎さんと同じ写真に写ったことがありまして・・・」と申し上げたら、「おや、そうですか」と、釣りバカ日誌のスーさんさながらの優しいまなざしをいただきました。
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『風の絨毯』舞台挨拶 2002年10月29日

次にお話したのは、前述の中山金太さんの一代記「わしゃ、世界の金太!〜平成の大成功者と5人の父〜」(高山秀実著・毎日新聞社発行)の出版を祝う会の時のことでした。
その時のお祝いの言葉がとても素敵だったのを思い出し、スタッフ日記を探してみたら、ちゃんと書いていました。
という次第で、2006年9月第5週のスタッフ日記から引用です。
「益田さんという楊貴妃のような女性に騙されて、金太さんを紹介され、 映画に出ろと言われたんです。私、実は出演料高いんです。その100分の1位の額を言われ、さて、何の縁もないのに・・・と思いながら、金太さんとお付き合いしている内に、こんなお話を聞きました。 地質学者の方が、飛騨高山では温泉は出ないというのに、どうしても温泉を掘り当てたい。 3本同時に掘って、1970m掘ったところで、ついに温泉が出たのですが、 金太さんは、あと39m掘って欲しいと。なぜ?とお伺いしたら、サンキューベリーマッチだと。 自分の生き様を大事にしていらっしゃる方だなぁと感じて、 ささやかな出演料でも出てよかったなぁと・・・」
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三國連太郎さんと楊貴妃のような益田祐美子さん
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三國連太郎さんと金太さんご夫妻
金太さんも、その後、まもなく天国に召されました。きっとあちらの世界で三國連太郎さんを暖かくお出迎えされていることでしょう。 
ご冥福をお祈りもうしあげます。合掌
posted by sakiko at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする