2022年08月28日
シネマ・チュプキ・タバタで『こころの通訳者たち』試写 出演者&ワンちゃんと一緒に (咲)
2016年の開館以来気になっていた田端にある小さな映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」に初めて行ってきました。
代表の平塚千穂子さんがプロデュースする『こころの通訳者たち』の試写を、通常の試写室ではなく、ぜひここで行いたいとのご意向で行われたもの。
映画の内容や、クラウドファンディング[進化するユニバーサルシアターCINEMA Chupki TABATAへご支援をお願いします] (2022年8月31日23:59まで)
については、8月13日のスタッフ日記で、(白)さんが詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。
CINEMA Chupki TABATAで試写(白)
私が訪れた8月24日(水)は、『こころの通訳者たち』の最終試写。上映後に(白)さんが山田礼於監督にインタビューすることになっていたので、同席できるという幸運♪
シネマ・チュプキ・タバタは、20席の小さな映画館。初めて訪れるので迷ってはいけないと早めに出かけたら、2時からの試写の40分前に到着。一番前の左の端っこの席を確保。まだ人が少ないうちに、宣伝ご担当の高木さんより、代表の平塚千穂子さんをご紹介いただき、さらに、山田礼於監督もご紹介いただきました。
平塚千穂子さんと山田礼於監督
プレス資料の山田礼於監督ご経歴の最初に、「インド発ロンドン行直行バス」(82)とあったのが、まず気になりましたとお伝えしたら、やっぱり沢木耕太郎の「深夜特急」を読んで、インドからロンドンに行けると知って、行ってみたのだそうです。思わず、話がはずみました。私たちの世代にとって、「深夜特急」はまさにバイブルでした。
1時半を過ぎて、次々に人が駆け付け、盲導犬を連れた方も。(出演者の難波創太さんでした。)
(暁)さんが迷うかもと、迎えに行きました。途中ですれ違うといけないと思っていたのですが、田端駅に着いたところで、ちょうど改札の向こうに(暁)さん。(白)さんが、詳しい道案内(★下記に記載します)をメールで知らせてくれていたのですが、ちょっと心配した次第。
いよいよ試写開始。一番前の右側3席は、出演者の方たち。通路寄りに盲導犬ピースを連れた難波創太さんが座ると、ピースも静かに横になりました。ずっとその体勢でおとなしくしていたピースが、突然立ち上がった瞬間がありました。実は映画の中で「立って!」という言葉があった次第。プロ意識にびっくりでした。
本編内でドキュメンタリー映像『ようこそ 舞台手話通訳の世界へ』が紹介されます。舞台手話通訳は、通常の手話通訳と異なり、演出家の指導のもと、通訳者も1人の出演者として役者と同じ衣装を着て、舞台に立つのです。そして、この手話通訳、直訳ではなく、わかりやすく短い単語で表すことに興味を惹かれました。ちょっと間が空いた時に、ふっと瞬きしてしまった舞台手話通訳者の高田美香さんが、瞬きも意味を持ってしまうと語っていたのが印象に残りました。
映画が終わって、山田礼於監督と出演者の方々よりお話を伺うことができました。
左から山田礼於監督、彩木香里さん、近藤尚子さん、難波創太さんと盲導犬ピース、石井健介さん。和気あいあいのお話しぶりから、撮影現場の楽しさが伝わってきました。
★シネマ・チュプキ・タバタへの道案内
田端駅、新宿・池袋方面からJR山手線だと一番後ろで降りると、ホームから改札に上がるエレベーターがあります。(エスカレーターは後ろから2両目あたりにあります)
北口から斜め前方にJR東日本の大きなビルが見えます。横断歩道を渡って、JR東日本のビルの脇にあるスロープを降りると自転車置き場です。高架をくぐって信号を渡ると駅下仲通り商店街の入り口です。道なりに進み、業務スーパーの看板を右側に見つけたらその手前がチュプキです。
公式サイトの地図はこちら!
2022年07月29日
岩波ホールより閉館のご挨拶をいただきました
いよいよ、岩波ホール閉館の日が来てしまいました。
最終日に駆け付けることができなかったのですが、遠くから、最後の上映に思いを馳せていました。
一つの映画館がなくなるという以上に、大切な文化が消えてしまったと、ぽっかり心に穴が空いたようです。
閉館に先立ち、昨日、岩波ホールの広報担当の方から支配人の岩波律子さまのご挨拶が届きました。
今でしたら、ご挨拶を動画で見ることもできます。
いつか見られなくなるかもしれないと思い、全文を転載させていただきます。
******************
平素よりお世話になっております。
まもなく、7月29日をもちまして、岩波ホールは閉館となります。
閉館に際して、支配人の岩波律子よりご挨拶を申し上げますので、
下記リンクよりご覧ください。
https://www.iwanami-hall.com/topics/greeting/5323
これまで、当館の活動にご注目いただき、誠にありがとうございました。
ご理解ご協力いただけましたことに、深く感謝申し上げます。
7月末をもって、当館スタッフも退職となります。
末筆ではございますが、
これからのみなさまのご健康、益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
今まで本当にありがとうございました。
矢本理子/田澤真理子
岩波ホール
**********************
(岩波ホール 公式サイトより転載)
皆さま、こんにちは。岩波ホールの岩波律子でございます。私どもは今年の7月29日に閉館することになりました。そこで、本日は最後のご挨拶をいたします。
多目的ホール時代
岩波ホールは1968年2月に開館しました。当時、地下鉄が3線乗り入れることになる神保町に、ぜひ文化的施設を、という千代田区からの要請もあり、多目的ホールとしてスタートいたしました。2月9日のホール開きでご挨拶してくださった野上彌生子さんが、「小さな空間だからこそ、大きなところでは出来ない、質の高い催し物ができる」と仰って下さいました。開館時に総支配人に就任した野悦子が、フランスのイデックというパリ高等映画学院で映画を学んできたこともあり、当初は「映画講座」をはじめ、「学術講座」、「音楽サークル」、「古典芸能シリーズ」の4つの柱を中心に、様々な催しものを、日々、行っておりました。
総支配人野悦子
野悦子は、私の母の妹で、叔母にあたります。旧満州生まれの野は、当時は“大陸的”とよばれた、常識にとらわれない自由な発想ができる女性でした。日本女子大学を卒業後、東宝株式会社に入社し、映画を調査分析する仕事をしていました。現在のマーケティングにあたると思います。その際、映画が男性監督によってしか作られていないこと、女性の描き方が現実を反映していないことに疑問を抱いた野は、監督を目指そうとしましたが、日本では女性は監督の勉強ができないことが分かり、フランスに留学するのです。外貨持ち出し額にまだ制限があった、1950年代のことでした。フランスから帰国した後、映画監督を目指してテレビの脚本を書いたり、色いろと動くのですが、やはり女性ということで、なかなか上手くいかず、そんななか、岩波ホールが1968年に開館することになり、総支配人となったのです。
野は非常に好奇心が強く、また行動力のある女性でした。初期の多目的ホール時代の様々な催しものは、岩波書店の執筆者とともに、多くが野の人脈によって成り立っていたように思います。実際、映画上映のみならず、生涯にわたり、様々な仕事に携わった人でした。おかげで、そのもとで働く社員は、時に大変な目にあいましたが、岩波ホール以外の活動として、東京国際女性映画祭のゼネラルプロデューサーとして、多くの女性監督の作品を日本にご紹介したことを、一つの例としてあげておきます。
エキプ・ド・シネマ
1974年に、川喜多かしこさんからご相談があり、インドのサタジット・レイ監督の「大樹のうた」を上映することになりました。これが、岩波ホールが映画館としての活動を開始するきっかけとなった作品です。いま思うと、最初に上映した映画が、インドの作品であったことが象徴的であると思います。当時の日本の映画界をとりまく状況は、現在とは全く異なり、欧米の商業的な作品の興行が一般的でした。そこで、当初より、4つの目標を掲げて、世界の埋もれた名画を世に出す運動として、エキプ・ド・シネマを開始しました。
その目標とは
日本では上映されることのない第三世界の名作の紹介
欧米の映画であっても、大手興行会社が取り上げない名作の上映
映画史上の名作であっても、なんらかの理由で日本で上映されなかったもの、
または、カットされ不完全なかたちで上映されたものの完全版の紹介
日本映画の名作を世に出す手伝い
岩波ホールがこれまでに上映してきた作品リストを、いま改めて見てみますと、初期の10年間はヴィスコンティやベルイマン、フェリーニ、タルコフスキー、アンゲロプロス、ブニュエルといった、映画界の巨匠たちの名作を中心に上映していた気がいたします。その後、1980年代半ばからは、中南米やアフリカ、東欧など、作品の多様化が進みました。1980年代後半から1990年代にかけては、世はミニシアターブームだったわけですが、岩波ホールでは、中国や東南アジアの映画、老人問題、女性監督の作品がどっと増えた時代でもありました。代表的な監督としては、サタジット・レイ、アンジェイ・ワイダ、羽田澄子、黒木和雄などがあげられると思います。また、私の個人的な思い出としては、セネガルのウスマン・センベーヌ監督の作品を上映できたことを、大変光栄に思っております。また、ここ数年はジョージア映画祭を2回開催いたしましたが、過去には、ポルトガル映画祭や「自由と人権」国際映画週間など、色々な国や地域の映画を、映画祭という形式でご紹介しておりました。そういう訳で、1974年以降、今年の2022年7月まで、名作上映活動としては48年間続いたエキプ・ド・シネマですが、現在上映中の「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」まで、66の国と地域の274作品を上映してまいりました。
岩波ホールの資料について
さて、岩波ホールがこれまで上映してきた作品のパンフレットやポスター、また、私どもの活動を記録した広報誌である「友」についてですが、既に、国立映画アーカイブ図書室をはじめとして、東京や地方の幾つかの図書館や資料館などに収蔵していただくことになりました。今後、岩波ホールの軌跡について調べたい方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご利用いただければと思います。
以上、簡単ではございますが、岩波ホールのこれまでの活動について、お話しいたしました。多目的ホール時代を含めますと、54年間となりますが、これまで、私どもの活動を見守り、劇場に足を運んでくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
岩波ホール支配人 岩波律子 2022.7.27
1976年の春に会社の同期の男性にサタジット・レイの『大樹のうた』を観に連れてきてもらったのが岩波ホールを知るきっかけでした。その後、何度も通った岩波ホール。ほんとうにたくさんの素敵な映画をありがとうございました。 景山咲子 (写真撮影も)
2022年07月17日
岩波ホールの7月29日閉館をずっしり感じてきました (咲)
岩波ホールが今年7月29日で閉館という衝撃のニュースが発表されたのは1月11日のことでした。あっという間に、半年が過ぎ、現在上映中のヴェルナー・ヘルツォーク監督作品『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』が最後の作品となってしまいました。
もう岩波ホールには伺うことはないかもしれないと思っていたら、特集上映「ヴェルナー・ヘルツォーク・レトロスペクティブー極地への旅」が組まれ、7月14日(木)に『ウォダベ 太陽の牧夫たち』と『ガッシャーブルーム 輝ける山』の2本立てを観てきました。
上映は4時半からですが、3時半に行って、まずチケットを購入。整理番号51番でした。
平日なのに、やっぱり出足が早いです。
土砂降りの雨でしたが、千代田区立図書館での展示「ありがとう 岩波ホール」を観に行きました。
現在、「第3部 エキプ・ド・シネマ 名画を発掘し続けた岩波ホールA」が開催中。
7月23日(土曜日)までです。
詳細は、こちらで!
5月23日〜6月25日に開催された、第2部 エキプ・ド・シネマ 名画を発掘し続けた岩波ホール@では、年代別に話題作・ヒット作をピックアップして展示されていました。
第3部では、「日本」「南米」「アジア」「アフリカ・中東」「戦争」「女性監督」のテーマごとに作品をピックアップ。
第2部も第3部も、支配人の岩波律子さんやスタッフの方々、宣伝の方などの思い出と共に作品が紹介されていて、どれも懐かしく思い出しました。
写真撮影は、許可をいただかないといけなかったので撮りませんでした。胸の中にしっかり焼き付けました。
4時15分に岩波ホールに戻ると、ロビーは人で満杯。
51番で好きな席は取れるかしら・・・と心配していましたが、最前列の左端が奇跡的に空いていました。
4時半になり、これまでの予告編に代わり、岩波ホールの変遷が映し出されました。最初に出てきたのは、壁に何も貼られていないまっさらな岩波ホール。出来立ての頃の映像でしょうか・・・ 上映された作品のチラシの数々が紹介され、最後に「ありがとうございました」の言葉だったと思うのですが、その頃には胸がいっぱいでよく覚えていません。
◆『ウォダベ 太陽の牧夫たち』Wodaabe-Die Hirten der Sonne/Herdsmen of the Sun
1989年/ドキュメンタリー/49分/ドイツ語・英語・フラ語/西ドイツ/DCP
*日本初上映
サハラ砂漠に住むフラニ族系の遊牧民ウォダベの風習や文化を映したドキュメンタリー。「ゲレウォール」という祭で、男たちが女性に選ばれるよう、懸命に化粧をして、白い歯を見せ、背を高く見せようと背伸びする姿は、以前、どこかで観ているのですが、この映画ではなかったような気がします。(なんといっても、日本初上映)
◆『ガッシャーブルーム 輝ける山』Gasherbrum-Der leuchtende Berg/Gasherbrum-The Dark Glow of the Mountains
1985年/ドキュメンタリー/45分/ドイツ語/西ドイツ/DCP
*新訳版上映
1984年に、ヒマラヤのカラコルム山脈にある8000メートル級のガッシャーブルームT峰とガッシャブルームU峰の登山に臨んだ、伝説的な登山家ラインホルド・メスナーとハンス・カンマーランダーを記録したドキュメンタリー。
行ってみたかった町スカルドゥが少し映って、嬉しかったです。
「どうして山に登るのか?」と聞かれて、答えられないラインホルド。(そこに山があるからとは言わなかった・・・)
弟と一緒に登山して、弟を見失い、結局遭難死してしまったことについて尋ねられ、さらに突っ込んで、お母さんは?と聞かれたとたん泣き崩れる姿が胸に迫りました。
死と背中合わせの登山・・・
1997年にカラコルムのスキルブルム峰(7360m)に登頂後、雪崩で亡くなられた広島三朗さんを思い出して涙でした。前年の日本パキスタン協会の泊りがけのシンポジウムの折の集合写真を撮るときに隣にいらして、「登山の仲間だと、来年いない奴がいるんだよな」とおっしゃったのですが、ご本人がいなくなってしまったのです。あ〜涙。
しみじみとなったところで映画が終わり、岩波ホールに別れを告げながら家路を急ぎました。
素敵な映画をたくさんありがとうございました!
2022年02月06日
ジョージア映画祭で岩波ホールに通う日々 (咲)
岩波ホールが今年7月29日で閉館という衝撃のニュースが駆け巡り、いつまでも収まらないコロナをうらめしく思うばかりです。
そんな中、楽しみにしていた「ジョージア映画祭2022 コーカサスからの風」が、1月29日に開幕しました。
2月1日(火)に、やっと初めて足を運びました。 窓口で、10時半からの『失楽園』と、1時からの『ナイロンのクリスマスツリー』をシニアでと申し出たら、「今日は映画の日で皆さま1400円です」と言われました。 そうっか〜、1日は映画の日でしたね。ラッキー♪
『失楽園』の始まる前に、ロビーで支配人の岩波律子さんにお会いできました。 7月29日の閉館、苦渋の思いで決められたことがお顔からも伝わってきました。
これまで上映した作品のチラシが、年代を追って壁一面に貼ってある場所があって、感無量でした。「人気のコーナー」と岩波律子さん。
1976年の春に会社の同期の男性にサタジット・レイの映画(たぶん『大樹のうた』)を観に連れてきてもらったのが岩波ホールを知るきっかけでした。
その後、何度も通った岩波ホール。 中でも、中国映画や韓国映画は母と一緒に観たものもあって、懐かしく思い出しました。 『達磨はなぜ東へ行ったのか』は、母一人で観に行って、満席で入れず、次の回を待ったと聞かされた映画です。
シネジャにスタッフとして書くようになってからは、いつも試写のご案内をいただき、上映作品のほとんどを試写室で拝見させていただいていて、トークの取材や、特集上映などでしか岩波ホールには来ていませんでした。
「岩波ホールで上映」というだけで、観る価値のある映画と認識される素晴らしさ。一時代を築いた岩波ホールがなくなるのは、文化の損失だと感じます。閉館しても、当面、ホールはそのまま保存されるとのことですので、いつか再開の時がくることを願ってやみません。
10時半からの『失楽園』(ダヴィト・ロンデリ監督)は、コメディー映画の歴史的名作。没落貴族が一攫千金を夢見て、裕福な農家の花嫁を迎えようと画策する物語。農家の娘は、没落貴族に使える男性と恋仲で、最後にはめでたしめでたし。観終わって、ジョージア映画祭主宰のはらだたけひでさんとお話ししました。『失楽園』が作られたのは、大粛清の年である1937年。抱腹絶倒の映画ですが、俳優もスタッフもどんな気持ちで撮影現場にいたのかと思いますとのこと。
さて、次の1時からの『ナイロンのクリスマスツリー』まで小一時間あったので久しぶりに「ろしあ亭」で食事しようと思ったら、休業中でした。
「1月21日より時短営業を続けてきましたが、感染者の増大にともない休業に至りました! 何のエビデンスも示さず飲食店への時短要請には怒りもありますが、また営業に向け頑張りますので宜しくお願いします。ろしあ亭店主」の貼紙がありました。
じゃ、「さぼうる」と思ったら、そちらも臨時休業。コロナで、どこも息絶え絶えですね・・・
すずらん通りを少し歩いて、お店を物色。
脇道に「海南鶏飯」の看板を見つけ、吸い寄せられように近づいてみました。
「天鶏」というタイの人がやっているお店でした。辛くないガパオライスもありましたが、看板メニューの海南鶏飯にしました。700円ですが、ご飯少な目で680円。すごく美味しかったです。
『ナイロンのクリスマスツリー』(レゾ・エサゼ監督)は、ペレストロイカ(1985)の直前に製作された群像劇。大晦日、新年を故郷で迎えるために首都トビリシからバスで帰省する人たちを描いた物語です。俳優の層が厚いことが感じられる一作。
この日観た2本は、どちらも味わい深くて心に残りました。
「バラエティに富んだラインナップなので、ぜひたくさん観てください」とはらださん。
公式プログラムを購入し、読んでみたら、どれもこれも観たくなりました。 できるだけ通いたいと、あらためて思いました。
という次第で、2月4日(金)オタル・イオセリアニ監督特集『落葉』と短編特集『四月』『鋳鉄』『ジョージアの古い歌』
2月5日(土)国民的映画「ケトとコテ」を究める『ケトとコテ』『喜びの家』『「ケトとコテ」を求めて』を観てきました。
映画については、また別に語りたいと思いますが、ほんとにどれも観てよかった!という作品でした。
2021年06月02日
映画館再開!(白)
映連・全興連・都興組・SAVE the CINEMAの連名で、6月1日からの映画館再開についての声明文です。
クリックすると大きくなります。
Twitterはこちら。
HP https://savethecinema.org/
再開後一人の感染者も出さないよう、ますます万全の対策をしてお待ちします、と劇場の方。
今までだって出ていなかったですよね。経路がわからないかもしれないけど、発生源やクラスターのニュースはなかった。
ようやく出かけられるようになった映画ファンのみなさま、道中気をつけて。
そんな嬉しいニュースのそばに「コロナで仕事がなくなって、自分のご飯は我慢して子どもに食べさせている」というお母さんの記事があって、胸がぎゅっと苦しくなる。融資をしてもらっても返せる当てがないから、と頑張ってきたのにその借金がなければ追加の補助金が受け取れないとは。なんだかヘンじゃない?こういう制度を決めるお役所の人は、生活に困ったことなんて一度もないんでしょ。(白)
クリックすると大きくなります。
Twitterはこちら。
HP https://savethecinema.org/
再開後一人の感染者も出さないよう、ますます万全の対策をしてお待ちします、と劇場の方。
今までだって出ていなかったですよね。経路がわからないかもしれないけど、発生源やクラスターのニュースはなかった。
ようやく出かけられるようになった映画ファンのみなさま、道中気をつけて。
そんな嬉しいニュースのそばに「コロナで仕事がなくなって、自分のご飯は我慢して子どもに食べさせている」というお母さんの記事があって、胸がぎゅっと苦しくなる。融資をしてもらっても返せる当てがないから、と頑張ってきたのにその借金がなければ追加の補助金が受け取れないとは。なんだかヘンじゃない?こういう制度を決めるお役所の人は、生活に困ったことなんて一度もないんでしょ。(白)