2017年08月27日
日本・ミャンマー共同製作映画&ドラマ『My Country My Home』製作発表記者会見 ミャンマーの若き女性監督にお会いする (咲)
2017年8月25日(金)、日本とミャンマーの友好の架け橋となる映画『My Country My Home』(2018 年2月上旬ミャンマーで公開予定、日本は未定)と、それに連動するテレビドラマ(2018 年1月下旬ミャンマーで放送)の製作発表記者会見が行われました。
NHKグループの日本国際放送とミャンマーの民間地上波チャンネルMyanmar National Television(MNTV)による共同製作で、映画とドラマを連動させるという初の試み。
映画版の監督がミャンマー女性ということに興味を惹かれ、記者会見に参加してきました。
★チー・ピュー・シン監督
ミャンマー・アカデミー賞で男優賞、女優賞、脚本賞を受賞するなど、ミャンマーの若年層を中心に広く人気を集めている。2006年にはミャンマーの著名漫画家を追悼するドキュメンタリー『A Sketch of Wathone』を制作し、National Geographic Society(米国)主催の映画祭All Roads Film Festival で最優秀短編映画賞を受賞(2008年)、ミャンマーを代表する女性監督。
◎記者会見
記者会見開始まで、ミャンマーMNTVによるミャンマーの名所や風景を満載した『My Country My Home』宣伝の特別映像とテーマソングを楽しみました。
この日、ミャンマーの製作関係者と出演者の皆さんを乗せたフライトが香港で急病人を降ろしたため、到着が2時間遅れたとのことですが、記者会見は予定の2時から5分遅れただけで始まりました。ミャンマーの皆さんの素敵な民族衣装に目を奪われます。
会見の最初に、司会の日本国際放送 杉浦隆統括部長より映画とドラマの概要が紹介されました。
映画『My Country My Home』
監督:チー・ピュー・シン
リトル・ヤンゴンと呼ばれる東京・高田馬場で暮らす女子高生、ナン(ウィッ・モン・シュエ・イー)。父(ヤン・アウン)は民主化運動に参加したことから、30年前に国を逃れて日本で暮らしてきたが、ようやく祖国に帰れる日がきたという。両親はミャンマー人だけど、日本に生まれ育ったナンは自分を日本人と思って暮らしてきた。日本とミャンマー、二つの祖国の狭間で悩むナン。そんな彼女の前に、二人の男性が現われる。一人はミャンマーからの留学生トゥラ(アウン・イェ・リン)。もう一人は、ミャンマー人でありながら、日本でJ−POPアーティストとして活躍する木村アウン(森崎ウィン)。二人のミャンマー男性との出会いが、二つの祖国で絡み合ったナンの心を少しずつ解きほぐしていく・・・
ドラマ版
監督:雑賀俊朗
映画公開に先立ち、映画と連動するドラマを制作、2018年1月下旬、MNTVでミャンマー全国放送を予定。
子供時代に日本に来て、現在はJ-POPアーティスト、俳優として活躍している森崎ウィンの生い立ちをヒントにしたオリジナル脚本のドラマ。今年10月に日本とミャンマーで撮影予定。
◆来賓・主催者挨拶
まずは、海外との共同製作を支援する事業を担当する総務省情報流通行政局 情報通信作品振興課の神谷征彦氏の挨拶。
次に、ミャンマー側主催者Myanmar National Television(MNTV)社長 ナン・マウッ・ラウ・サインさんの挨拶。
総務省に対する支援へのお礼に続いて、ドラマが両国の友好を基礎にしたものであること、映画は日本人の文化も鮮明に描いたもので、かつ、ミャンマーの人も観たことのないようなミャンマーの景色を見せるものにしたいと語りました。
また、日本側主催者 日本国際放送 代表取締役社長 冷水仁彦氏からは、「日本での公開も決まっていない映画の製作発表に起こしいただきありがとうございます」と満杯の会場に向かってお礼。MNTVさんに対しては、3年前からNHKの大河ドラマや朝の連続ドラマ「あまちゃん」をゴールデンタイムに放映していただいていることへのお礼が述べられました。一足早くミャンマーで開催された記者会見には、40社が参加し、スーチーさんと共に民主化運動をしてきたヤンゴンの首相(地域の知事にあたる)も出席されたことも報告されました。
ここで、ミャンマーで行われた成功祈願のお祈りの会と記者会見の模様が映像で紹介されました。
◆監督・出演者によるトークセッション
映画とドラマ、それぞれの監督と出演者の皆さんが登壇。
映画版 チー・ピュー・シン監督:
サポートしてくださっている日本の関係者の方、そして、ミャンマーMNTVのミン社長にお礼を。映画は両国の友好の証です。ミャンマーの映画好きの方たちから期待されています。映画を大成功させるよう頑張ります。
ナン役 ウィッ・モン・シュエ・イー
私の役は、日本を愛するミャンマーの女の子です。そういう役をできることを光栄に思います。子どもの時からずっと日本のドラマを見てきましたので、撮影を通じて日本の文化に触れるのが楽しみです。
(日本語で)一生懸命頑張ります。よろしくお願いします。
父親役 ヤン・アウン
『祖国』(ミャンマーでの原題)にミャンマーの人たちは大いに期待しています。日本の皆さんにも喜んでいただけるものにしたいです。
留学生トゥラ役 アウン・イェ・リン
日本ミャンマー友好の映画に出演することができるのを光栄に思います。
全力を尽くします。
木村アウン役 森崎ウィン
ミャンマーで生まれ、小学校4年生のときに日本に来ました。ミャンマーも日本も祖国だと思っています。二つの国の架け橋になれると思います。ミャンマーでは、おばあちゃんと暮らしていました。おばあちゃん孝行にもなるお話をいただけてうれしく思っています。
ドラマ版 雑賀俊朗監督:
話をいただくまでミャンマーと縁がなく、決まってから本を読んだり、在日のミャンマーの人に接し、ミャンマー料理を食べて、ミャンマー愛が生まれてきました。小さい時から、外国のドラマや映画で、その国のことを知ってきました。この映画とドラマを通じて、ミャンマー、そして日本を好きになっていただければと思います。
☆会場との質疑応答
― チー監督に。一番のみどころは?
チー監督:1988年の民主化運動に参加して、日本に逃れてきたミャンマー人の話です。国が民主化して、国に帰る人たちが各国にいます。祖国に帰りたいけど、子どもたちにとって、育った国が祖国で、ミャンマーは外国です。そういう子どもたちの心を描くのが魅力です。これは日本だけでなく世界に通じる話です。
― 主演女優の方に。役作りで難しそうだと感じている点は?
女優:日本で育った日本語ペラペラの役で、日本語を勉強しないといけないけれど、数日で頑張らないといけないのが大変です。
― (ミャンマーの方より)難しい点は? 1988年の民主化運動に参加して逃れてきた人を描いていますが・・・
チー監督:難しい点は特にないのですが、助監督が日本人で、いろんなぶつけ合いをして、やっと今、スムーズになってきました。(日本人とミャンマー人の時間に対する感覚などの違いがあるようです)
― 大半は日本での撮影ですか? 撮影場所は? また、スタッフの構成は?
監督:3分の2が日本、3分の1がミャンマーです。高田馬場以外に、大仏のある鎌倉と、茶畑と工場を静岡で撮影します。
ミャンマーではプロデューサーをシューティングマネージャーというのですが、それは日本人です。
― 森崎さんに。おばあちゃん孝行できるチャンスですね。
森崎:記者会見でミャンマーに弾丸で帰ることになって、「映画に出ることになった」と言ったら、「焼けた? 痩せた?」と聞かれ、自分のことを心配してくれているのだなと思いました。今度、ちゃんと報告したいと思います。
― スピルバーグ監督の新作にも出演されて、国際的な作品で活躍する心境は?
森崎:海外で色々経験させていただけるチャンス、嬉しいです。英語もペラペラにはしゃべれないのに、スピルバーグ監督のオーディションに受かって、正直、現場ではつらかったことのほうが多いのですが、周りの人に支えられて、国を越えても人は同じ、感謝の気持ちを忘れてはいけないなと感じています。
ミャンマーに帰ると、ミャンマー語と日本語がごちゃまぜになって、頭の中の切り替えが追いつかないところがあります。コンサートもたくさんやらせていただいて、ほんとに感謝しかありません。普段はマイクを持つのは歌う時なので、話すことが得意じゃありません。ぜひライブにきてください。
記者会見は終了し、フォトセッション。
女性の衣装も素敵でしたが、男性の民族衣装も凛々しくて、ぐっと頼もしく見えました。
フォトセッションが終ってから監督に、ミャンマーで現在何人くらいの女性監督がいるのか伺ってみました。4〜5人との答えでした。
今回、ミャンマー側の主催者MNTVの社長も貫禄ある女性。
そして、ミャンマーといえば、なんといっても、民主化運動を率いたスーチーさんが思い浮かびます。
私が1975年に商社に就職した際、半年間、隣の席にいたのが、まだミャンマーと名前の変わる前のビルマの女性でした。スーチーさんにも似た色白の美人。ビルマで貿易商を営む一族のお嬢様で、日本に修行に来ていたのですが、帰国して采配を奮い、駐在員の日本人のおじさまたちもたじたじだったとか。今は貿易のほか、ビジネススクールを経営したりしているようです。
彼女を思い出しながら、ミャンマーの女性たちの活躍ぶりを再認した記者会見でした。
2017年07月02日
『ボンジュール、アン』 エレノア・コッポラ監督、ダイアン・レイン来日記者会見(暁)
世界的な「映画一家」を支えてきたエレノア・コッポラ。自身のエピソードを基に80歳で長編劇映画デビューし、主演のダイアン・レインと共に来日した。そして、花束を持って駆けつけたのは樹木希林。
フランシス・フォード・コッポラの妻エレノア・コッポラが80歳で初めて長編劇映画の監督・脚本を手掛けたロードムービー。『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』など、夫や娘ソフィアの映画のメイキングなどを制作してきたエレノアだが、自身の体験を基に描いた本作が長編映画の監督・脚本デビュー作。
夫の仕事仲間であるフランス人男性ジャックとカンヌからパリに車で向かう途中でのエピソード。子育てを終え、人生のひと区切りを迎えた女性アンは、これから何をしたらいいか悩んでいた。そんなアンにジャックは「あなたなら何でもできる」と励ます。この旅は忘れていた自分のやりたかったこと、人生の喜びを再発見する旅になった。自身で監督し、アンを演じたダイアン・レインと共に来日した。
シネマジャーナルHP
作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/451427433.html
ミッキーの毎日・映画三昧
http://mikki-eigazanmai.seesaa.net/article/451345772.html
『ボンジュール、アン』
エレノア・コッポラ監督/アメリカ/92分
7月7日よりTOHOシネマズ シャンテ他にて全国順次ロードショー公開
公式サイト:http://bonjour-anne.jp
エレノア・コッポラ監督、ダイアン・レイン来日記者会見
通訳 戸田奈津子
6月7日、東京・大手町のパレスホテル東京
エレノア監督は「夫や娘が日本で記者会見するのを何度も脇で見て、写真を撮ってきましたが、自分が主役で記者会見することは初めてで、皆さんの映画に対する関心を感じて大変嬉しいです」とニッコリ。今作のテーマとして「異文化に接した時に感じること」を挙げ、「日本でいろいろな文化に接した時の感動がヒントになっています。日本の芸術や、華道、日本人の感性や自然を愛する気持ちに感銘を受けています。そういうものに対する感動を移し変えて描いたのがこの作品です」と明かした。
長編劇映画を初監督し、どういう思いかという問いには「やはドキュメンタリーとは全然違います。ドキュメンタリー作品は一瞬の命を素早くとらえたり、その瞬間が大事です。でもフィクションの場合は、いろいろなものを自分で考えて入れていくことができる。一コマ一コマ自分で作ることができる。それなりに長編を作る責任も違ってきますし、アートの形として違います。今回、こういう機会を得られて、とても幸せだと思っています。また幸運にもダイアン・レインやアレック・ボールドウィンやアルノー・ヴィアールなど素晴らしいキャストを組むことができて、初めての挑戦が生きたと思います」と語ったけど、「この作品を6年前に企画しましたが、お金が集まらなくて、資金集めに奔走しました」と語り、「映画にお金を出す人々は、女性の物語で、女性監督の映画にはお金を出したがらない。引いてしまうわけです。そのなかで可能になったということは意味のあることですし、ダイアンが出すっぱりの主演で、この映画が成功すれば、こういう映画にもお金を出していけるという先例になればと思います」と語った。
監督の演出で、印象深かったことは?という質問に対して、ダイアンは「18歳とは違うからね」と笑いを誘ったのち、「他の監督(男性、女性含めて)とエレノア監督の違うところは、自分のアーティストとしての経験があるからこそ、他者を信頼できるというところです。今回の作品の場合は女性のスタッフが多かったのですが、才能のある方を集めることができて、彼らを信頼しているからこそ、最高のものを引き出すことができたと思っています。これが今までの監督と違うところです。コラボレーションが密。いろいろな提案に対してもオープンでした。脚本を見せていただいたのは2年前で、その時は出演が無理かなと思ったのですが、2年後、再度話があって引き受けました。その間に脚本も変えていたのですが、エレノアさんが脚本家としてもオープンに他の人の意見も受け入れられたからだと思います」
それに対してエレノア監督は「ダイアンは私の中でNo.1のチョイスでした。彼女は6歳の時から映画界で働きプロ中のプロで存在感があります。その実力というのはラッシュで見た時、驚きました。肌の中までアンになりきってくれてパーフェクトな存在だった」と賛辞を送った。
ダイアンは「今回、アンを演じていてほっとしたところは、結婚の終わりとか恋の始まりというような作品ではないというところでした。二人が登場する時、ビジネスパートナーとその妻という関係性の中で、ある種、礼儀正さを持った状態で物語は始まります。そんな中で、自分を知るというワクワクする発見がありました。誰かとの出会いは大事。自分共感するところや、ここは自分とは違うというところは?という問いに対しては「主人公アンがした経験を、自分も経験しました。それが共通点でした。誰かを文化へのガイドのように信頼をすること。この場合は文化への入り口が《食》だったわけですが、誰もが食べることは必要なわけですが、ものを食べるということはポエトリーを感じられるものです。人生のターニングポイントというのは誰しもあるわけですが、同じ年代の女優ということで、体験的にも子供が巣立ち、とても共感できるものでした。時間を戻すことはできないわけで、前に進むしかない。その後、どうするのか。新しい領域への経験への挑戦というのが、共通するものでした。自分もこの業界の中で、同じように葛藤してきました。この作品では、私はスクリーンタイム(写っている時間)が多かったと思います」と語り「かつてはゆっくりと口コミで時間をかけて広がっていくというようなことがあったのですが、アメリカでは、今は最初の興行成績が全てという見方しかされない。日本ではわかりませんが、やはり最初の週に観にいっていただけるようお願いします」と語った。
この後、樹木希林さんが花束を渡しに登場。エレノア監督と対面を果たした希林さんは、「この間カンヌ映画祭の監督賞を獲得した、ソフィア・コッポラさんのお母さん。どんなたたずまいの方かなと思っていましたが、いやあ〜、やっぱりすごいですねえ! お目にかかれて良かったです」と言葉をかける。
映画の感想については、「私の周りにも、50歳を過ぎて『こんな生活でいいのか、夫に連れ添い続けた自分は何だったんだろう』と、悩み始める方がたくさんいます。特に才能ある女性に多い」と語り、「そういう方たちに、胸に落ちる映画なんじゃないかと思った」と見どころをアピール。一方で「アンという女性に共感した部分は?」と尋ねられ、夫、内田裕也を引き合いに「私はエレノアさんのように夫に仕えていません。50年近く別居していますので、何も苦労していません。ですからアンに共感するところは、ちょっとないかもしれませんね」と茶目っ気たっぷりに話し、場内をもりあげた(笑)。
カンヌからパリまでの道中、フランスの食や文化、以外な話が興味をそそる。この映画を観たら、きっとこういう旅をしてみたいなという人が増えるかも。この映画を巡るツアーみたいのがあったら、私もぜひ行ってみたい。皆さん、ぜひご覧ください。(暁)
フランシス・フォード・コッポラの妻エレノア・コッポラが80歳で初めて長編劇映画の監督・脚本を手掛けたロードムービー。『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』など、夫や娘ソフィアの映画のメイキングなどを制作してきたエレノアだが、自身の体験を基に描いた本作が長編映画の監督・脚本デビュー作。
夫の仕事仲間であるフランス人男性ジャックとカンヌからパリに車で向かう途中でのエピソード。子育てを終え、人生のひと区切りを迎えた女性アンは、これから何をしたらいいか悩んでいた。そんなアンにジャックは「あなたなら何でもできる」と励ます。この旅は忘れていた自分のやりたかったこと、人生の喜びを再発見する旅になった。自身で監督し、アンを演じたダイアン・レインと共に来日した。
シネマジャーナルHP
作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/451427433.html
ミッキーの毎日・映画三昧
http://mikki-eigazanmai.seesaa.net/article/451345772.html
『ボンジュール、アン』
エレノア・コッポラ監督/アメリカ/92分
7月7日よりTOHOシネマズ シャンテ他にて全国順次ロードショー公開
公式サイト:http://bonjour-anne.jp
エレノア・コッポラ監督、ダイアン・レイン来日記者会見
通訳 戸田奈津子
6月7日、東京・大手町のパレスホテル東京
エレノア監督は「夫や娘が日本で記者会見するのを何度も脇で見て、写真を撮ってきましたが、自分が主役で記者会見することは初めてで、皆さんの映画に対する関心を感じて大変嬉しいです」とニッコリ。今作のテーマとして「異文化に接した時に感じること」を挙げ、「日本でいろいろな文化に接した時の感動がヒントになっています。日本の芸術や、華道、日本人の感性や自然を愛する気持ちに感銘を受けています。そういうものに対する感動を移し変えて描いたのがこの作品です」と明かした。
長編劇映画を初監督し、どういう思いかという問いには「やはドキュメンタリーとは全然違います。ドキュメンタリー作品は一瞬の命を素早くとらえたり、その瞬間が大事です。でもフィクションの場合は、いろいろなものを自分で考えて入れていくことができる。一コマ一コマ自分で作ることができる。それなりに長編を作る責任も違ってきますし、アートの形として違います。今回、こういう機会を得られて、とても幸せだと思っています。また幸運にもダイアン・レインやアレック・ボールドウィンやアルノー・ヴィアールなど素晴らしいキャストを組むことができて、初めての挑戦が生きたと思います」と語ったけど、「この作品を6年前に企画しましたが、お金が集まらなくて、資金集めに奔走しました」と語り、「映画にお金を出す人々は、女性の物語で、女性監督の映画にはお金を出したがらない。引いてしまうわけです。そのなかで可能になったということは意味のあることですし、ダイアンが出すっぱりの主演で、この映画が成功すれば、こういう映画にもお金を出していけるという先例になればと思います」と語った。
監督の演出で、印象深かったことは?という質問に対して、ダイアンは「18歳とは違うからね」と笑いを誘ったのち、「他の監督(男性、女性含めて)とエレノア監督の違うところは、自分のアーティストとしての経験があるからこそ、他者を信頼できるというところです。今回の作品の場合は女性のスタッフが多かったのですが、才能のある方を集めることができて、彼らを信頼しているからこそ、最高のものを引き出すことができたと思っています。これが今までの監督と違うところです。コラボレーションが密。いろいろな提案に対してもオープンでした。脚本を見せていただいたのは2年前で、その時は出演が無理かなと思ったのですが、2年後、再度話があって引き受けました。その間に脚本も変えていたのですが、エレノアさんが脚本家としてもオープンに他の人の意見も受け入れられたからだと思います」
それに対してエレノア監督は「ダイアンは私の中でNo.1のチョイスでした。彼女は6歳の時から映画界で働きプロ中のプロで存在感があります。その実力というのはラッシュで見た時、驚きました。肌の中までアンになりきってくれてパーフェクトな存在だった」と賛辞を送った。
ダイアンは「今回、アンを演じていてほっとしたところは、結婚の終わりとか恋の始まりというような作品ではないというところでした。二人が登場する時、ビジネスパートナーとその妻という関係性の中で、ある種、礼儀正さを持った状態で物語は始まります。そんな中で、自分を知るというワクワクする発見がありました。誰かとの出会いは大事。自分共感するところや、ここは自分とは違うというところは?という問いに対しては「主人公アンがした経験を、自分も経験しました。それが共通点でした。誰かを文化へのガイドのように信頼をすること。この場合は文化への入り口が《食》だったわけですが、誰もが食べることは必要なわけですが、ものを食べるということはポエトリーを感じられるものです。人生のターニングポイントというのは誰しもあるわけですが、同じ年代の女優ということで、体験的にも子供が巣立ち、とても共感できるものでした。時間を戻すことはできないわけで、前に進むしかない。その後、どうするのか。新しい領域への経験への挑戦というのが、共通するものでした。自分もこの業界の中で、同じように葛藤してきました。この作品では、私はスクリーンタイム(写っている時間)が多かったと思います」と語り「かつてはゆっくりと口コミで時間をかけて広がっていくというようなことがあったのですが、アメリカでは、今は最初の興行成績が全てという見方しかされない。日本ではわかりませんが、やはり最初の週に観にいっていただけるようお願いします」と語った。
この後、樹木希林さんが花束を渡しに登場。エレノア監督と対面を果たした希林さんは、「この間カンヌ映画祭の監督賞を獲得した、ソフィア・コッポラさんのお母さん。どんなたたずまいの方かなと思っていましたが、いやあ〜、やっぱりすごいですねえ! お目にかかれて良かったです」と言葉をかける。
映画の感想については、「私の周りにも、50歳を過ぎて『こんな生活でいいのか、夫に連れ添い続けた自分は何だったんだろう』と、悩み始める方がたくさんいます。特に才能ある女性に多い」と語り、「そういう方たちに、胸に落ちる映画なんじゃないかと思った」と見どころをアピール。一方で「アンという女性に共感した部分は?」と尋ねられ、夫、内田裕也を引き合いに「私はエレノアさんのように夫に仕えていません。50年近く別居していますので、何も苦労していません。ですからアンに共感するところは、ちょっとないかもしれませんね」と茶目っ気たっぷりに話し、場内をもりあげた(笑)。
カンヌからパリまでの道中、フランスの食や文化、以外な話が興味をそそる。この映画を観たら、きっとこういう旅をしてみたいなという人が増えるかも。この映画を巡るツアーみたいのがあったら、私もぜひ行ってみたい。皆さん、ぜひご覧ください。(暁)