2021年08月14日

飯田基晴監督の投稿をシェアします

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facebookとTwitterで飯田基晴監督の投稿を見つけました。
8/31まで、映画「あしがらさん」の無料公開を行います。
長らくホームレス生活を送ってきた1人の男性が、生活保護を受けて地域での暮らしを取り戻す3年間を描いたドキュメンタリーです。
https://youtu.be/euXpt3bwAq8
この無料公開はメンタリスト・DaiGo氏の意見に対する、僕なりの反論です。
よろしければご覧下さい。
そして、その意義を感じて頂けたら、どうか広めてください。
反論の声を上げる一助になれば幸いです。」
posted by shiraishi at 22:18| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月08日

新型コロナワクチン接種しました(暁)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行は、去年(2020年)1月頃から始まり、4月には緊急事態が発令された。暖かくなったら流行も衰えるかと思っていたのに、衰えるどころか1年半以上続いている。そして、この8月までに4回の波が認識されている。現在は第5波ともいわれ、この1週間ほどで、東京都では1日の感染者数が4000人越えも数日観察され爆発的に増えている。ワクチン接種は今年4月頃から始まったけど、7月の時点でワクチン不足が懸念され、予約申し込みもできなくなってしまった。そんな世相の中、私は運よくワクチン接種をすることができた。そして、先週無事2回目の接種も終えた。
自粛生活が続き体もしんどくなってきて、去年の今頃は体の調子がとても悪かった。そして、ただでさえ息をすると荒くなるというのに、マスクをして外に出るのは余計息苦しい。そして「持病がある人はコロナに感染すると重症化しやすい」と言われ、心臓弁膜症の持病がある私は、感染したら確実に重症化するだろうなと戦々恐々の日々を送っていた。
それでも去年は2月6〜9日まで、長年の夢だった台湾・十分(シーフェン)の天燈節(ランタン祭り)に行ったし、2月末には妹たちと北陸旅行に行き、3月初めには大阪アジアン映画祭にも出かけた。この直後に海外渡航や県をまたいでの旅行制限が出たけど、ぎりぎりまであちこち出かけていた。
そして、去年4月から6月までの2か月間の自粛期間はほぼ家から出なくて、買い物をするのも我が家から1,2分の小型スーパーでという状況だった。我が家は狭い部屋で、体を動かしたりすることもできず、運動不足も重なり、食欲がなくなったり、体がむくんだり、歯茎に血が出て止まらなかったりして、かなり身体的状況はきつくなった。それでも6月の自粛解禁からは、試写などにも通うようになり、買い物も少し遠くのスーパーに行くようになった。
そんなこんなで、ワクチン接種になったのだけど、私の周りの友人たちは、「私はワクチン接種はしない」という人もいて、「ワクチン接種で死んだ人もいるのよ」と脅され、「そうだよね」と、私もやめようかなと迷ったけど、私は持病持ちで感染したら重症化する可能性があるのだから、どちらのリスクを取るかだと思い、ワクチン接種することにした。毎月薬を出してもらっている内科医にも相談したら「そりゃあワクチン打ったほうがいいよ」と言われ決心した。
ニュースや新聞などにワクチン接種が始まったと載るようになったけど、私が住んでいる武蔵野市からは5月に入っても何の音沙汰もなく、どうなっているんだと思った6月になって「新型コロナウイルスワクチン接種券」が送られてきた。それによると接種会場は市内総合体育館とかコミュニケーションセンター、市民会館だった。ワクチンを打ったあと、副作用が出たら困るなと思ったので、ちょっと不安になったけど、その会場以外に「個別接種を行う医療機関一覧」というのがあって、その中にいつも薬をもらっている病院の名前もあったので、それならこちらに行ったほうが安心と思い電話をしてみたら、予約電話は接種の1週間前の日と言われ、7月くらいまではこれまでの患者さん優先で、新しい患者さんはそのあとになりますと言われてしまった。それで、一応「7月10日(土)ころにお願いできたら」といい、またその1週間前に電話しますと伝えた。
そして1週間前の7月3日(土)の決まった時間帯に電話をした。その1日前にワクチン不足がニュースになっていたので、ヒヤヒヤしながら電話をしたのだけど、何度電話しても電話中で繋がらない。1時間半くらいの間に40回くらい電話しても繋がらず、もう制限時間ぎりぎりになって、やっと繋がったと思ったら、「本日、市の医師会からワクチン供給制限の連絡があり予約はお断りしています」と言われ、やっぱりだめだったかと諦め、市の接種会場のほうに連絡を取るしかないなと思ったら、「あ、7月10日14時に仮予約入っていますね」と言われ、ワクチン接種できることになった。6月に相談した時に言っていた希望を聞いて仮予約を入れていてくれていた。ほっと一安心。それで、2度目も自動的に予約されていた。この病院では、1週間に3回、病院の昼休み時間と休みの日に、ワクチン接種の日を作って実施していた。7月10日に病院に行くと10人くらいの人がいた。若い人もいる。すでに若い人たちにも接種券が送られているのだろうか。
実は10年近くかかっていた近所(歩いて30秒!)の内科医院が去年(2020年)11月、突然閉院してしまって、そのことを知らなかった私は、引継ぎのカルテや紹介状をもらうことなく、新しい病院を探すことになった。そして12月、手元にある資料(薬手帳、領収書、心臓弁膜症の手術をした先生のメモ用紙)だけをもって、この新しい病院に移った。なので、私はこの病院では新参者だった。なかなか引継ぎがうまくいかなくて、まだ十分手元にあって不要な薬も出てしまったり、必要な情報が伝わらなかったり、最初はなかなか意思の疎通がうまくいかず、2か月くらい前には、他の病院を探そうかとも思ったりしたけど、やっとうまくコミュニケーションができるようになってきたところだった。そして、このワクチン接種を迎えた。

先生が注射をした後、診察室の外で15分ほど待機して様子見。注射針を刺した時に痛かったけど、とりあえず問題はないようだった。そのあと家に帰り、しばらくしてから熱っぽいかなと思った。でも体温計で測ったほうがいいほどの熱ではなく、そのまま過ごす。ちょっとだるい感じはしたけど、パソコンに向かい、シネジャHP用の記事を打つ。明日日曜日がHPの更新日なので。次の日、パソコンに向かいつつ、なんとなく熱っぽいし、おまけに注射したところが昨日より痛い。それでもらっていた薬を飲む。それでも状態は変わらない。でもパソコンの原稿に集中していたら、いつのまにかその痛みも忘れていた。
2週間後の7月31日(土)、再度病院に行き、2回目の接種。看護師さんは1回目も2回目も次の日のほうが、発熱や痛みが出てくると言われ、2回目の方が痛かったり症状が強かったかもと言われていたので、ちょっと不安だった。確かに2回目のほうが、熱もあったようだし(そもそも注射した時点で、いつもより1度くらい高かった)、やはり注射したところが痛い。1回目と同じく、症状が出た時用にと出ていた薬を飲む。そして、シネマジャーナルHPの日曜更新のための原稿に集中。痛みはなかなかひかない。月曜日(2日後)も少し痛かったけど、そうしているうちに、気が付いたら痛みはなくなっていた。そんなこんなでなんとか無事にワクチン接種が済んだようなので一安心。
でも、新型コロナウイルスは、インドから広がった新しい変異型ウイルス「デルタ株」が広がり、さらに南米などから広がっている変異ウイルス「ラムダ株」などの確認もあり、油断を許さない。ワクチンを接種したからと言って安心はできないし、まだまだマスクも外せない。今、一番暑い時期なので、なんとかマスクをつけたくないのだけど、外に行く場合はそうもいかない。つけやすいマスクをみつけたいと、布製や冷っとするマスクとか、いくつか使ってみたけど、結局、不織布で作られた白いマスクが一番だった。サイズによっては1日中マスクをしているとひもをかけている耳の周りが痛くなる。100枚入りを買ってしまったので、無くなるまでは当分このマスクで行くしかないかな。このマスクの在庫が無くなる頃には、コロナ禍も収まっていてくれるといいのだけど…。
posted by akemi at 20:41| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月01日

東京オリンピック記念 『美しいイラン』展@イラン大使館  (咲)

東京オリンピックが開幕して、危惧していたとおり、コロナ感染者が増えて心配な日々です。猛暑なのも、想定内。戸外の競技で倒れる人が続出しそうで、なぜこの季節に?と、思ってしまいます。競技にはあまり興味がないし、日本選手がどれくらいメダルを取るかについては、さらに全く興味がないのですが、開会式の各国選手たちのいでたちには興味津々。これだけは楽しみにしてテレビを観ました。それぞれお国柄が溢れていて素敵でした。何より、皆さんの笑顔に、なんだかんだ開催してよかったのかなと。(招致の時から反対でした。念のため・・・)
それにしても、イランの選手団が登場したときに、NHKのアナウンサーの方が、「アラブ諸国も女性の活躍が目覚ましいですね」と言ったものですから、え?? と怒り心頭。NHKに言わなくてはと思ったら、ちゃんと誰かが注意したらしく、しばらくして「イランはアラブではありません」と訂正が入りました。やれやれ〜

私にとってオリンピックはこれで終わりと思っていたのですが、イラン大使館から東京オリンピック開催を記念して開催する『美しいイラン』展のオープニングセレモニーのご案内をいただいて、7月26日(月)夜に参加してきました。
人の集まるところに行くのは・・・と思いつつ、せっかくの機会でしたので!

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大使館玄関両脇で立派な古代ペルシアの像が出迎えてくれて、まず、びっくり♪

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1階、入ったところには、ペルセポリスのレリーフのレプリカ。

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地下のホールには、歴史的建造物や名所をはじめ、伝統技術・工芸品などを紹介する約20点のパネルのほか、モニュメントや手工芸品なども展示されていて、とても立派な展覧会。

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ホールの真ん中には、イランの伝統競技ズールハーネに使う道具なども展示されていて、まさにスポーツの祭典にふさわしいレイアウトです。

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ポスターにもなっているメインの図柄は、ポロをする人たちの細密画。
背景に古代の杯「アルジャン」。(下記の絵柄)

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こちらは、東京オリンピックのイランイスラム共和国スポーツキャラバンのロゴの元となった古代の杯「アルジャン」。1982年、フーゼスターン州のベバハン市で発見された新エラム時代の墓にあった5つの同心円の形で偉大な古代の儀式が表されているそうです。

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芸術の一つとして、イランの映画も重要との説明も!

オープニングセレモニーでは、イランと日本の両国の国歌のあと、選手団応援歌。そしてオリンピック選手団団長や、スポーツ省の大臣、大使のご挨拶。選手の方たちには会えませんでしたが、ちょっとしたオリンピック気分でした。
オリンピックを機に、スポーツだけでなくイランの伝統と文化を知る展覧会を通して文化交流もという企画、イラン大使館もなかなか頑張ってます♪

★入場無料、8月6日(金)まで、連日夜8時まで開催されています。
ぜひいらしてみてください。
会期が、8月11日(水)まで延長されました。
当初予定の8月6日(金)までは、11時〜夜8時ですが、
8月7日(土)〜11日(水)の延長期間は、10時〜夜6時までとなります。


『美しいイラン』展
期間:7月27日(火)〜8月6日(金) 11:00〜20:00
★延期 8月7日(土)〜11日(水)10:00〜18:00
会場:在日イラン・イスラム共和国大使館
★アクセス
東京都港区南麻布3-13-9
*都営地下鉄三田線&東京メトロ南北線「白金高輪」駅より徒歩7分
*都営バス 06番(渋谷駅、新橋駅)「四ノ橋」バス停下車1分
都営バス「四ノ橋」渋谷方面より到着のバス停前にあるファミマの入っているビルの裏手の建物が大使館です。玄関がガラス張りになっています。


posted by sakiko at 19:13| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イランの絵本展でサヘル・ローズさんによる読み聞かせ♪  (咲)

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7月24日(土)、「イランの絵本展vol. 8 切手と絵本」に行ってきました。
イランの絵本を紹介し続けている愛甲恵子さんによるボローニャ国際絵本原画展の関連企画。もう8年目です。
会場は、成増にあるCafe & Gallery Patina。
今回はサヘル・ローズさんを招いてのイベント「サヘルさんと絵本トーク」が企画され、せっかくならと応募。運よく当たりました。

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イベントで1時からお店がクローズされるので、その前に展示をゆっくり見ながら、Patinaさんの美味しいランチをいただきました。愛甲恵子さんとのコラボランチが毎回楽しみ♪
チキンと林檎のホレシュ(煮込み)。ヨーグルトの和え物、トルシー(ピクルス)、美味しいご飯(ミントの葉が乗せてありました)にドリンク(マンゴージュースをチョイス)が付いて850円♪

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額装された切手の数々・・・ 小さな芸術品ですね。
文通していたイランの女の子からの封筒によく貼られていた懐かしい薔薇の花の切手も!

ゆっくり絵本も眺めて、いったんお店を出て、2時からサヘル・ローズさん登壇のイベント。
密にならないよう、15名限定。
サヘル・ローズさんが登場したとたん、会場がぱっと明るくなりました。
小さいときに触れた絵本の物語の意味が大人になってわかることもあるとサヘル・ローズさん。まさしくそうですね〜

最近の絵本で、サヘル・ローズさんのお薦めは・・・
★「ジャーニー 国境をこえて」フランチェスカ・サンナ作 青山 真知子訳
 戦争がはじまり、安全な国を求める母と子のながいながい旅。

サヘル・ローズさんの推薦の言葉
「ただいま」といえる故郷はありますか?
戦争が奪うのは命だけじゃない、笑顔も居場所も奪った。
それでも彼らは、そして私も生きようとしている。

★「かぜのでんわ」いもとようこ 作絵
岩手県大槌町に東日本大震災のあと設置された風の電話ボックスをモデルにした絵本。
映画『風の電話』(監督:諏訪敦彦)で、その電話の存在を知りました。
サヘル・ローズさんが、さわりを読んでくださいました。
映画と違って、絵本はたぬきの坊やが電話をかけるところから始まります。可愛い♪

後半は、日本語とペルシア語の両方で絵本「ノホディとかいぶつ」を読み聞かせしてくださいました。とても感情がこもっていて可愛くて、こんな風に物語を読み聞かせしてもらうと、心にいつまでも残るなぁ〜と思いました。

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緑のオウムの絵は、愛甲恵子さんの手書き♪


posted by sakiko at 12:33| Comment(0) | 日々のできごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月23日

『親愛なる君へ』 基隆で育った母の最期を想う (咲)

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c 2020 FiLMOSA Production All rights

台湾映画『親愛なる君へ』
莫子儀(モー・ズーイー)が同性愛者の主人公を演じているということだけしか知らずに拝見。映画が始まって程なく、低い山に囲まれた港町が映り、あ、基隆!と、もう感無量でした。

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基隆は、私の母が7歳から終戦の年までの10年間を過ごした町。外国航路の船長をしていた祖父が家族と常に暮らせるようにと見つけたのが、基隆港での水先案内人の仕事でした。基隆は、深い入り江になっていて、天然の良港。祖父は水先案内人として、来港した大型船を迎えるたびにコーヒーを振舞われ、胃を荒らしてしまったらしく、おそらくそれがもとで戦争の終わる少し前に亡くなってしまいました。母と祖母はすぐにでも神戸の家に帰りたかったようですが、戦況悪化で沖縄を経由して本土に戻るのはとても無理。敗戦後、台湾に住む日本人は引き揚げることになり、祖母は早々に9月初めの引揚船に乗れるように手配。祖父が水先案内人だったことから伝手があったようです。祖母があんなに急がなければ、もっとゆっくり荷物の整理ができたのにと母によく聞かされました。
日本に持ち帰れるのは、一人行李一つ。大急ぎで必要なものをまとめて、暑いのに服や靴下は何枚も重ねて身に着けたそうです。内地は甘いものが不足しているらしいと、砂糖をお土産にと缶に入れたのですが、砂糖の入った行李を船に積む時にクレーンが海に落としてしまい、砂糖は塩になってしまったのよと後々まで嘆いていました。
一人っ子だった母は、祖父にとても可愛がられたようです。休みの日に、基隆の港の入り口付近の岩場に釣りに連れていってもらったこと、台湾は果物が豊富だから昼食は果物だけにしようと言ったものの数日しか続かなかったこと、戦争が終わったら世界一周の船旅に連れていってあげると言っていたことなど、ほんとによく聞かされました。母は子ども心に、内地での暮らしが懐かしくて、りんごやみかんが届くのが楽しみだったとか。また、祖母が露店の食べ物は不衛生だからと、台湾の美味しいソウルフードを食べさせてもらえなかったそうです。

さて、映画『親愛なる君へ』

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*まずは物語を公式サイトより*
老婦・シウユーの介護と、その孫のヨウユーの面倒をひとりで見る青年・ジエンイー。
血のつながりもなく、ただの間借り人のはずのジエンイーがそこまで尽くすのは、ふたりが今は亡き同性パートナーの家族だからだ。
彼が暮らした家で生活し、彼が愛した家族を愛することが、ジエンイーにとって彼を想い続け、自分の人生の中で彼が生き続ける唯一の方法であり、彼への何よりの弔いになると感じていたからだ。
しかしある日、シウユーが急死してしまう。
病気の療養中だったとはいえ、その死因を巡り、ジエンイーは周囲から不審の目で見られるようになる。
警察の捜査によって不利な証拠が次々に見つかり、終いには裁判にかけられてしまう。
だが弁解は一切せずに、なすがままに罪を受け入れようとするジエンイー。
それはすべて、愛する“家族”を守りたい一心で選択したことだった…

監督・脚本:チェン・ヨウジエ(鄭有傑)
監修:ヤン・ヤーチェ
出演:モー・ズーイー、ヤオ・チュエンヤオ、チェン・シューファン、バイ・ルンイン
2020年/台湾/カラー/106分/シネマスコープ/5.1ch/華語・台湾語
原題:親愛的房客/英題:Dear Tenant
配給:エスピーオー、フィルモット
配給: エスピーオー、フィルモット
★2021年7月23日(金・祝) シネマート新宿・心斎橋ほか全国順次公開
シネジャ作品紹介


今は亡き同性パートナーの弟は、借金から逃げて上海に住んでいて、旧正月で実家に帰ってきても、母親から「家を売りたいの?」「お金がいるの?」と全く信用されていません。
その弟から、ジエンイーは財産狙いで介護しているのかと問い詰められるのです。ヨウユーは叔父さんより、ジエンイーを二番目のパパと呼んで慕っていて、血縁より心の繋がりが大事だと感じさせてくれます。
“国民のおばあちゃん”と呼ばれる名女優チェン・シューファン(陳淑芳)さん演じるシウユーが「痛い痛い」と苦しむのをなんとかしてあげたいと思うジエンイーや孫。
この場面で、10年前の夏、首に出来た癌が悪化して、「痛いから、なんとかして〜」と叫んでいた母を思い出しました。代わってあげることもできず、私には何もしてあげられなくて歯がゆい思いでした。結局、病院が受け入れてくださることになって、7月下旬の今日のような暑い日に入院。モルヒネを打って痛みは止めてもらうことができましたが、程なく意識がなくなり、9月9日に亡くなりました。
11月に入って、母宛に年賀状をくださっていた方たちに母が亡くなったことをお知らせしたところ、すぐにご連絡をくださったのが、佐賀や石垣島に住む基隆時代のご友人たちでした。敗戦で日本の各地に引き揚げてばらばらになってしまった基隆の同級生たち。70歳を過ぎる頃までは、1年に数回、どこかで集まっていました。台湾人の同級生の方たちとも、ずっと親交が続いていました。母にとっては、神戸に次ぐ故郷。
基隆の風景が美しく映し出された『親愛なる君へ』。母と一緒に観たかったとしみじみ思いました。

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ジエンイーが間借りしているシウユーの家は、少し高台に建っていて、上記の画像で窓から港が見えています。(こんな風に海が見えるところに住みたい♪)
位置はおそらく湾のどん詰まり。左手に基隆駅があるところ。母の暮らしていた家は、この位置から見ると右手の丘の中腹。現在、基隆中正公園のある位置のちょっと下あたりだと思います。当時は、戦争中で港を見下ろせる山の上に登ることは禁止されていたそうです。

ところで、ジエンイーを演じた莫子儀(モー・ズーイー)には、『台北に舞う雪〜Snowfall in Taipei』(霍建起監督)が2009年の東京国際映画祭で上映された折に、宮崎暁美さんがインタビューしています。(シネマジャーナル78号に掲載) 私にも声がかかったのですが、指定の時間に、どうしても優先したい予定があって、同席するのを諦めました。その翌日、東京国際映画祭のオープニング・グリーンカーペットを沿道で取材。霍建起監督が『台北に舞う雪』の出演者一行を引き連れて歩いてきたのですが、監督には前日インタビューしたばかりで顔を覚えていてくださっていて、私の正面に一行を連れてきてくださいました。そうして撮れたのが、この写真です。

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『台北に舞う雪』一行。
左から莫子儀(モー・ズーイー)さん、童瑶(トン・ヤオ)さん、霍建起(フォ・ジェンチイ)監督、陳柏霖(チェン・ボーリン)さん、楊祐寧(トニー・ヤン)さん (撮影:景山咲子)

その時に、一番左端の素敵な彼は誰?と思ったのが、莫子儀(モー・ズーイー)でした。
予定を無視してでもインタビューに同席するべきだったと悔しかった次第です。
あれから時を経て、落ち着いたいい役者さんになったと感慨深いです。


posted by sakiko at 20:00| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする